神の言葉を届ける説教の神学を鮮やかに提示する快著
〈評者〉小泉 健
説教とは何でしょうか。説教は「聖書の言葉に基づく語り」だと言えます。それなら、「聖書の言葉に基づく」とはどういうことでしょうか。一節一節を順番に説明していけばよいのでしょうか。それは聖書研究にすぎず、説教ではありません。説教は、聖書「について」学習することに留まらず、聖書が語りたいことを、生きた言葉で届けることであるはずです。説教の言葉が聖書の言葉と一体となって、聞き手の魂に語りかけ、聞き手を赦し、慰め、生かすようでありたいのです。説教者は皆、このことをめぐって苦闘していると思います。これを実現するにはどうしたらよいのでしょうか。本書は、説教に取り組む上でもっとも大切なこの問題を取り上げ、鮮やかに答えてくれます。
カール・バルトは二〇世紀を代表する神学者です。バルトが営んだのは教義学であって、実践神学ではありません。しかし、バルトの神学は、バルト自身の説教者としての苦闘から生まれてきており、牧師の学として展開されていると言えます。また、バルトは大学教授になってからも、生涯にわたって説教者であり続けました。それなら、説教することについてバルトから何を学べるのでしょうか。
本書はタイトルにあるとおり「バルトによる説教論」です。バルトから説教について学ぼうとするなら、一九二〇年代の諸講演を参照することもできましょう。『教会教義学』をひもとくこともできましょう。しかし本書は、バルトの『説教学』に集中します。これは、バルトが生涯でただ一度だけ担当した、説教学演習の記録です。この演習でバルトは、説教の定義から具体的な説教準備に至るまでを扱いました。〔日本語では、『神の言葉の神学の説教学』(日本基督教団出版局)の前半に訳出されています。〕
本書の著者上田光正先生は、牧師・説教者であるとともに、生涯にわたってバルトと取り組んだ組織神学者でもあります。バルトとの取り組みの結晶が『カール・バルト入門─ ─21世紀に和解を語る神学』(日本キリスト教団出版局)として示されています。ですから、本書も、バルトの神学についての深く確かな理解を背景にしています。しかし、本書はバルト研究の書物ではないし、バルト「の」説教論でもないと言うべきでしょう。バルトに教えられつつ、わたしたち自身が「説教とは何か」についてのたしかな理解を持ち、その説教を実際に行うための手引きをなすものです。まさに、バルト「による」説教論です。
聖書の言葉が今ここで語り出すことに仕える説教をするためには、説教者自身が聖書の言葉に聞き、神の言葉を受け取るところから考え直さなければなりません。釈義と黙想の捉え直しです。本書は、バルトが聖書の釈義と黙想をどのように考えていたのかをつかみ出し、わかりやすく提示しています。本稿の冒頭に述べたように、「鮮やかに」それがなされているのです。
日本のプロテスタント教会の説教は、加藤常昭先生の神学や説教塾を通しての働きに大きな影響を受けてきました。その加藤先生は常々、「説教塾の神学は神の言葉の神学だ」と言っておられました。加藤先生や説教塾の説教論の神学的な背景を知るためにも、本書は必読書と言えます。本書によって、ぼんやり捉えていたことに言葉を与えられ、思わず膝を打つことになるはずです。


















