自分や他者を大切にしながら人生を謳歌するために
〈評者〉香山リカ
キリストは愛の人。それに異論を唱える人はいないだろう。では、キリストを信じるいわゆるクリスチャンも愛の人なのか。その問いへの答えは分かれるはずだが、集約すると「本来はそうあるべきだけど、実際はそうとも言い切れない」となるのではないか。とくに経済至上主義の現代においては、「自分や儲け以外になんてかかわってはおられない」という人も増えている。
本書は人間社会における愛つまりヒューマニズムを、キリスト教を柱としてどうすれば回復できるのかと、教育、教会、医療などさまざまな“現場”で活動する専門家たち
が、ときに真剣にときにユーモラスに考え語り合った書である。
第一部のパリ・カトリック大学神学部教授であるフランソワ・ムーグ氏の講演では、前教皇フランシスコの回勅から次のようなショッキングな言葉を引くことでヒューマニズムの危機が示される。一部を省略して紹介しよう。「人間や生命や社会についての、また自然とのかかわりについての新しい考え方を普及させる努力をしないかぎり、(中略)メディアと強力な市場メカニズムによって、消費主義というパラダイムが邁進し続けることでしょう」。
では、どうすればよいのか。答えのひとつは、その前の教皇ベネディクト一六世の「生きるアート(技術)をどうやって身につけるのか」という呼びかけにある、とムーグ氏は考える。教育とはこの「生きるアート」をひとりひとりに促進するものでなければならない、とするムーグ氏の次の言葉にはうなずくばかりである。
「教育というのは、知識やノウハウの習得だけを目的としたものではありません。それは、人間を全体として育成し、最高の目的へと導くものでなければなりません」(五八頁)、「カトリック教育の貢献は、(中略)人間化の実践を試みることであると考えることができます」(五九─六〇頁)。
ムーグ氏は、講演に続いて日本のカトリックの小中高に勤務する教員たちと対話するのだが、それも非常に読み応えがあった。とくに子どもたちの自己肯定感の低さに悩む教員からの切実な声に、キリスト教的ヒューマニズムはどう応えていけるのかが、今後の課題として浮き彫りにされた。
第二部、第三部は実践者たちの研究報告やエッセイだ。「人間の実存の本質は自己超越」として人には自分ではない誰かに向かって自分を超えていく「精神性(スピリチュアリティ)」が備わっているとする加藤美紀氏から、「噺家と客の『語り、聴く』という共同行為によって互いが人間であることを了承し、確認し合う」という落語の寄席にある種の霊的システムを見て、大学内でも落語会を開催しているという原敬子氏まで、その内容はあまりにバラエティに富んでいるが、それぞれが「生きるアート」のヒントとなっている。
人間が経済システムあるいは情報システムの一部となったかのように、断片化されている現代社会。今だからこそヒューマニズムやキリスト教の原点に立ち返り、自分や他者を大切にしながら全人的に人生を謳歌する「生きるアート」が求められている。この労作のどのページからも、そんな声が響いてくる気がした。













