主の晩餐とキリストの現臨
〈評者〉関川祐一郎
今から18年ほど前、神学校入学直前の春に本書の訳者である原田浩司先生と私の父の3人でスコットランドを旅したことがある。レンタカーで各地を巡り、スコットランドにおける教会の歴史を辿る機会を与えられた。特に印象深かったのは、ジョン・ノックスが牧師として仕えたセント・ジャイルズ教会の早天礼拝に出席し、聖餐に与ったことである。10名ほどの小さな礼拝だったが、牧師が目の前でパンを裂き、一つの杯からぶどう酒を回し飲んで聖餐に与った。スコットランド宗教改革の舞台となった教会で、キリストの現臨に与るという恵み深く得がたい経験だった。
本書はスコットランドの代表的神学者トーマス・F・トーランスが1958年に編纂し、2005年に新装再版されたロバート・ブルースの聖餐に関する説教集である。そこにはロバート・ブルースがセント・ジャイルズ教会で実際に行った5編の説教が収録されている。ロバート・ブルースはこれまで日本ではほとんど紹介されてこなかったが、近年彼の聖餐論と説教はスコットランドで再評価されているという。
ロバート・ブルースは1587年、ジョン・ノックスの後継者としてセント・ジャイルズ教会の牧師に就き、礼拝説教の働きに忠実に仕えた。元々は法律家を志していたが、ジョン・ノックスの語る説教に強い影響を受け、セント・アンドリュース大学で神学を学んだ。本書の冒頭に収録されている略伝の中でロバート・ウドローはブルースを次のように評している。「これまでスコットランドに登場した牧師たちのなかでも、最も敬虔で、力漲る牧師の一人でした。(中略)スコットランドの宗教改革運動に、ノックスの指導下でも得られなかった安定と持続性が得られたのは、総じて言えば、ブルースの指導下でのことでした」(9頁)。また編者であるトーランスはブルースの語った説教はスコットランド教会におけるサクラメントの伝統の核心部であると評価している。トーランス自身、少年時代にブルースの説教集に養われ、エディンバラ大学のニュー・カレッジに入学してからは、彼が学んだ主の晩餐に関する講義内容の大部分がブルースの説教から示唆を受けたものだった。よって、私たちは本書に収められているブルースの説教を通して、宗教改革以来、スコットランド教会の中に脈打っているサクラメント、とりわけ主の晩餐の奥義と恵みにふれることができる。
本書に収録されているブルースの説教はいわゆる聖餐についての小難しい論文ではなく、礼拝説教として一般の会衆に向けて語られた、聖餐の奥義に関する説き明かしである。み言葉の説教を通して、聖餐のパンと杯がいかに恵み深い食事であるのかが生き生きと語られている。ブルースの説教を読むことによって、私たちの目の前に、甦りのイエス・キリストが立体的に立ち上がってくる。
ブルースが5編の説教を通して強調しているのは、第一に聖餐におけるイエス・キリストの現臨である。そして、み言葉とサクラメントの結びつきがいかに大切なのか、さらには私たちが聖餐に与るには、信仰と悔い改めが不可欠だということである。ブルースは「御言葉と切り離された典礼の執行を、わたしはサクラメントと呼ぶつもりはありません」(41頁)、「信仰のほかに、あなたがたとキリストを結び合わせる媒体などありません」(48頁)と述べている。
差し出されたパンと杯を前に聖霊が降り、信仰によってそれに与るとき、私たちはキリストの体を食べ、血を飲むのである。このことを通して私たちはキリストの体によって養われ、キリストの血によって健やかさが保たれる。キリストの現臨と共に私たちはキリストと一体とされる。礼拝におけるみ言葉の説教とサクラメント、さらにそこに働く聖霊によって、キリストが現臨される恵みを思わずにはおれない。み言葉の説教、そして聖餐という主が定めたもう奥義を通して、教会がキリストの現臨の喜びに生きるとき、教会はより生き生きと大胆にイエス・キリストを宣べ伝えることができるのではないか。本書は今の時代にあって、教会に宣教の喜びを増し加え、私たちを真実に生かすみ言葉とサクラメントの恵みを新たにしてくれる。牧師にも信徒にもぜひお奨めしたい1冊である。読み返すほどに聖餐の奥義にふれることができるだろう。













