私の人生を変えた一冊は、『自分のなかに歴史をよむ』です。中世ヨーロッパ史の研究者阿部謹也氏が彼の探求心の出発点と研究の歩みを易しい文体で伝えた本ですが、私にはこの本に導かれた二つの経験がありました。
一つ目は、20歳の時の欧州旅行です。生まれて初めての欧州は新鮮でその経験は強烈でした。最初に降り立ったローマ、最も長く滞在したフィレンツェ、クリスマスのイルミネーションに彩られたパリ。 旅をする中で、キリスト教に対する信仰が文化や芸術にしみこみ、人々の生活にも深い影響を与えているのを目の当たりにしたことで、欧州の歴史とキリスト教に深い関心を抱くようになりました。
二つ目は、旅行の後、友人の家の書棚で見つけた『中世の星の下で』との出会いです。それは、阿部謹也氏による中世ヨーロッパ社会に関する論集で、当時の民衆の生活を描き出した内容にわくわくしたのを覚えています。
そしてこれら二つの経験が、二人の子どもを育てながら大学院に進学した頃に、『自分のなかに歴史をよむ』に引き合わせてくれたのでした。入学当初の研究テーマは英国救貧法の歴史で、その背後にあったのはキリスト教に支えられた慈善と世俗的な立法救貧法の関係への関心でした。 しかし、次第に学問にブランクのあった私に中世英語を読み解くことは困難だとわかり、この本になぞらえ、あらためて一から〝自分のなかに歴史をよむ〟作業をしてみたのです。 そうすることで、私が経験したのと同じように、大正時代の女性も子育てと自己実現の狭間で葛藤を続けていたことを知り、なぜこの問題が現代まで解決されることなく続いているのか研究してみたいと思いました。
こうして、自らの問題意識から出発したテーマは、研究のモチベーションを高め、博士課程に進む道を開いてくれました。 私にとってこの本は、歴史研究の楽しさに気づかせ誘ってくれた大切な一冊です。
(いまい・このみ=関西学院大学教授)