霊に導かれ、神を求めた一人の男
〈評者〉小暮康久
「押田さんとともに歩む旅は、いかがだったでしょうか?」編者による巻末のこの言葉に表れているように、本書はカトリックの修道司祭でありながら、八ヶ岳山麓の高森草庵で農耕生活を営むかたわら、宗教の違いを超えて、世界中の神秘伝承(霊的生命)につながる人々と出会い続け、現代世界が孕む根源的な問題をはっきりと自覚し、預言者的に行動し続けた押田成人(一九二二〜二〇〇三年)の人生を辿ったものである。
第1章「誕生からドミニコ会との出逢いまで」では、幼少期のご両親や兄との関わり、戦時中の一高時代、ホイヴェルス神父との出逢いと受洗、戦後の哲学科での学びと司祭への召命、そしてドミニコ会との出逢いと闘病生活の始まりと、その後の押田師の深みへの歩みが次第に形となっていく青春時代の姿が描かれている。第2章「高森草庵に生きる」では、タルト神父との出逢い、神学を学ぶためのカナダ滞在と樵との「ことばを超えた出逢い」、叙階後の帰国と萩焼のカリス「聖金曜日」誕生の経緯、そして療養の地としての高森の地で人々との円いから高森草庵が生まれていく姿が描かれている。ここでは「高森草庵覚え書」「お水のうた」「コトことば」についても語られている。
第3章「人々とのめぐりあいと九月会議」では、押田師が「地下流」と呼ぶ、それぞれの宗教や信の根底に流れる本質的なもの──神秘伝承──につながり、それを汲んで生きている世界中の人たちとの出逢いが描かれている。そうした出逢いと交わりがもたらした実りが「九月会議」である。九月会議は「著名人をかり集めての、いわゆる『国際平和会議』という如きものでは決してなく、平素かくれて、人類の苦しみを真に生き身に運んでいる底の人々の集まり」として、「どうしても緊急に、宗教界の責任ある立場の人々が集まらなければならない、ということが、皆を通しても、はっきりした声として出てきた」ことによっておこった出来事であった。第4章「現代文明との闘いと思索の深まり」では、現代文明を動かしている精神、すなわち現代人の奢りと昂りにまつわる幻想が現代文明において現象化し、それがいのち(存在)の「根を潰し」「一人ひとりのかけがえのなさを奪う」ものであること、そこには「人間を超える『悪』の根拠地」があることへの洞察が深まっていく姿が、その時に具体的に展開していた「水」をめぐる裁判の経緯と併せて描かれている。第5章「闘病と晩年」では、「自らを葬る」と宣言してからの沈黙の最後の数年が描かれる。押田師は遺言のように四つの福音書の翻訳に取りかかり、その一つである『漁師の告白(ヨハネ伝)』の「まえがき」でこのように語る。「聖書の世界と出会うためには、我々の歩みゆく方向は逆なのである。自らの手で捉え、解ろうとすることを断念することから出発しなければならない。そして、すべて我の匂いを去る方向へ歩みゆかねばならない。何故なら、聖書の伝承の示しているものは、そういう我の匂いを去った人々に、彼岸から与えられた、神のめぐみのながめなのだからである」。
師がこの世を去って二十年が過ぎるが、若き日に押田師と出逢った「地下流」において、今も共にいることを私自身感じている。何故なら「地下流」は永遠だからである。