神への愛に生きた知られざる女性伝道者の人生
〈評者〉加納孝代
小ぶりな本であるが、そこに描き出される華奢で美しい明治生まれの女性の生涯は、一瞬言葉を失わせるほどの力をもって読者に迫る。
主人公は寳田愛子(一八九四─一九八五)といい、無教会キリスト者として夫と子供たちを懸命に愛し、支え、かつ社会に向かっては幼い者、少年少女、病める者、そして女性たちに神の愛とイエスを通しての赦しを語り続けた伝道者である。しかも無教会キリスト教の代表的指導者である内村鑑三、塚本虎二、矢内原忠雄の三名とも深い関わりをもった。
著者の矢田部さんは『女の視点で語る』という小冊子(今井館教友会の女性グループの二十六年にわたる研究活動を記した二十六冊の記録集)を読み、その中で山本玲子さん(山本書店主の山本七平氏夫人)が語った彼女の母の寳田愛子さんの生涯に関心を持ったのだった。寳田愛子は福島県の現相馬市の生まれで、愛子の父吉田亀太郎は新潟に来た英国人医療伝道師T・A・パームの影響でクリスチャンとなり、牧師にもなった人である。
矢田部さんは山本玲子さんにインタビューを申し込み、玲子さんと妹の足立文子さんから愛する母の生涯について詳細に聞いた。併せて姉妹から提供された諸資料をもとにこの評伝をまとめられた。
愛子が結婚した相手は新潟県村上市出身の寳田一蔵で同じくクリスチャン。二人の間には恵一と、玲子、信子、文子の三人の娘が育った。愛子と一蔵は東京で内村鑑三の聖書の講義を聞き、内村の死後はその高弟の塚本虎二の聖書集会に出席、戦後は当時目黒区中根にあった今井館聖書講堂の一隅に住んで、矢内原忠雄が今井館で開いていた聖書講義に参加するという形で、聖書を学び続け、「無教会人は万人祭司たるべし」との信念のもと、進んで聖書の真理とキリスト教の信仰を周りの人々に伝え続けた。
その間に関東大震災や太平洋戦争、そして厳しい戦後の時代があり、さらに夫の一蔵が故郷村上に有していた家督、すなわち全財産を失って貧苦の淵に沈み、娘たちの結婚の話をめぐって塚本虎二からは破門、矢内原忠雄からは厳しい叱責を受けるなどの苦難が続いた。それらすべてを我が罪のゆえと受け止め、魂を砕かれつつ、ほっそりした体を紫色の和服に包み、草履履き姿で、心身の疲労を厭わず、信仰のために駆け回ったのが愛子の波乱万丈の生涯であった。何より娘さん方が自分たちの母をこれほど深く敬愛し、矢田部さんに伝えようとされた事実に私は胸を打たれる。
じつは最初、「愛に祈る人」というこの本の書名には日本語として違和感を覚えた。しかし読後の今は理解できる。寳田愛子はつねに祈っていた人であったが、その理由はまずは愛する夫や、夫から厳しすぎるしつけを受ける息子や、生き生き・伸び伸びと育っているがゆえに批判にさらされる健気な娘たちのためであった。また家族がそれぞれ背負わされている苦難がすべて自分の罪に発しているとの悔いから神とイエスによる赦しの愛を乞う祈り、そして祈りが聞かれたときに捧げられる愛なる神への感謝の祈り。そういう人の生涯はまさに「愛に祈る」と表現するにふさわしいと矢田部さんは思われたのであろう。どうか多くの方に本書を繙いて頂きたいと思う。
加納孝代
かのう・たかよ=今井館教友会理事長