ドイツ神学思想の底流を流れる白眉の著作集
〈評者〉小友 聡
本書は18世紀ドイツのキリスト教思想家、フリードリヒ・クリストフ・エーティンガーの著作のアンソロジー(精選集)である。書名『聖なる哲学』はエーティンガー自身の思想の自己理解であり、聖書を基盤とした洞察であることを示す。評者は本書の書評を頼まれた時、正直に言って、少々うろたえた。旧約聖書学を専門とする者には近世の哲学書の書評は荷が重かったからである。しかし、18世紀ドイツの啓蒙主義哲学に対するキリスト教会からの建設的で考え抜かれた神学的発言に出会い、多くの刺激と示唆を得た。
本書の著者エーティンガーは、シュペーナーの敬虔主義の流れに属する、ルター派教会の牧師である。グノモンの著者ベンゲルの弟子であり、またカントの論敵スウェーデンボルクの影響を受けた神秘主義の思想家としても知られる。エーティンガーは当時の啓蒙主義哲学に対峙し、聖書に基づいてルター派の福音主義的思想を展開した。このように紹介すると、かなり難解な思想家のイメージがあるが、そうではない。たとえばローズンゲンで知られるヘルンフート兄弟団の信仰覚醒運動と呼応した、聖書的福音を説く説教者と言ってよい。エーティンガー曰く、「聖なる哲学は、いのちを与える霊の道具である。」「聖書を説明することが最高の哲学である。」(34頁)
本書はエーティンガーの著作から重要なものを抜粋し、一冊に纏めたものである。目次からわかるように、神論、三一論、キリスト論、贖罪論、信仰論と聖化論、終末論という内容で神学思想が紹介される。また、十字架論を展開する公開説教が収録されている。注目したいのは、「アントニア王女の教示画」と題される絵画解説であり、ユダヤ教神秘主義(カバラー)に類比されるキリスト教神秘主義によって図版が見事に謎解きされる。18世紀のキリスト教敬虔主義がなんとユダヤ教神秘思想と親密な関係があったという事実に評者は衝撃を受けた。
本書の紹介として、翻訳者・喜多村得也氏に触れなければならない。喜多村氏はドイツ文学者であり、無教会の小平福音集会の指導者。金子晴勇先生の勧めでエーティンガーの翻訳に取り組まれた。本書翻訳に心血を注がれ、完成するも出版を待たずに今年1月に79歳で天に召された。その意味で、本訳書は喜多村氏の「白鳥の歌」である。あとがきには、「私はエーティンガーの信仰はなんと素晴らしいものであるか、魅せられた」と記されている。喜多村氏のお嬢さんが、病床でこのあとがきを口述筆記したそうである。
18世紀後半はカントによってドイツ観念論が花開いた時代である。この時代にエーティンガーという特筆すべき霊的なキリスト教思想家がいた。評者はかつてカント哲学に魅了されたが、実践理性の要請にすぎぬ「神」に心を傾けて祈れないという壁にぶつかった。今回、書評のための閲読とはいえ、エーティンガーに出会い、カントの限界にあらためて気づかされた。本書は近世のドイツ神学思想を知るために必須の書である。なお、エーティンガーの著作については『自伝』(第7巻)の翻訳も刊行される。
小友聡
おとも・さとし= 日本旧約学会会長