魂の霊的成長を真剣に求める人々の必読書
〈評者〉古谷正仁
この度、邦訳として400頁を越えるボリュームを持つ本書が、私が尊敬する、そして多くの学びを与えてくださった方々の手によって訳されたことに、大きな喜びと感謝を感じる。本書は、本当に不思議な導きと支えによって、世に送り出されたものの一つである。
先ず斎藤 顕牧師について記したい。彼は若くして渡米し、神学教育を受け、20年近い牧会経験を積んだ後に、横浜ユニオン教会に多年に亘って仕えられた。交わりを大切にされる方で、本書を監訳された、当時横浜の上星川教会牧師であった友川 榮先生や私と、個人的な交わりの他に本書の著者ピーターソンのヨナ書に基づく牧師論の読書会を導いてくださった。
その難解かつ深淵で、実践的な牧師論を基に、3人で牧会の悩みを分かち合い、話し合ったのは良い思い出だ。後に元英語教師で、現在小説を書き、各地でコンサートを主催しておられる音 一平氏が加わってくださり、信徒の立場から助言してくださった。「牧師は独り働くものではない」という基本を、私は学ばされたのである。ヨナ書に即して言えば、「神に示されたニネベに行かず、この世的な栄光を求めてタルシシュに行こうとする」牧師が私を含めいかに多いことか。それを示されたのだ。監訳者の友川牧師が本書巻末に記されているように、「牧師は神の為さることを邪魔することなく、唯々そこに住む方々を愛し『じっくり、こつこつ』と牧会に励むよう神から遣わされている」(431頁)のである。
そして友川牧師は、上星川教会辞任後、いくつかの教会を経て故郷の田尻教会に仕えられるのだが、斎藤牧師が第2の故郷である米国へ渡られた後も、ピーターソンの学びをある種の執念のように続けられ、2名の良き協力者を得て、お連れ合いやご自身の闘病の経験を重ねながら、また同志であった斎藤牧師の召天の悲しみに耐え、本書の出版に漕ぎつけられたことに、大きな感動を覚えるものである。
ご存じの方も多いと思うが、本書の著者ユージン・H・ピーターソンは29年の牧師生活の後、カナダのバンクーバーにあるRegent Collegeにおいて、「霊性の神学」の教鞭を取り、1998年神学校退職後、各地で説教や講演を精力的に行い、2018年に心不全のため85歳で召天している。ここで特に心に残ったピーターソン節をお伝えしよう。
「誰もが知っている通り、病気になり、悲しみ、傷ついたとき、誰かに助けてもらった経験があるはずである。しかしそのような試みは、しばしば失敗に終わる。病院のベットに臥し、意気消沈し、痛みがある時、牧師や友人が来て『全てうまくいくから』と励ますのだが、そのような『うわべだけの元気な在りよう』は何の助けにもならない。(中略)だが、わたしたちが耐え抜いていることを十分に自然と分かち合う勇気と忍耐深い誰かが傍にいれば、その時こそ助けとなる。─すなわち、わたしたちをしっかり見つめ、『大切な人間』としてありのままに関わり、わたしたちに大きな敬意を表してくれる人々である。」(5月9日)
「(前略)そうわたしはカワセミを覚えていた。(中略)このカワセミは魚を獲るために湖畔にある枯れ枝にじっと座っていた。カワセミが魚を獲る方法は、眺めていて楽しいものだった。何ともカワセミは水面に急降下したが、27回、魚を獲ることができなかった。(中略)『霊的な形成』のためには、前提としなければならないことがある。それは、このカワセミが示していることである。急いではいけない。(後略)」(12月3日)
このように本書には、私たちの魂の霊的形成のための、尽きない宝がちりばめられている。真剣に霊的成長を求める人のための、必読・座右の書の一つである。
古谷正仁
ふるや・まさよし=日本キリスト教団蒔田教会牧師、日本聖書神学校教授