イザヤ書注解の新たなスタンダードとして
〈評者〉越川弘英
最初にお断りしておくと、私は聖書学を専門とする者ではないので、以下の文章は主に実践神学、特に説教との関係から記すことをご理解いただきたいと思う。
本書は「VTJ旧約聖書注解」シリーズの一巻として、イザヤ書1~12章(「第一イザヤ」の一部)を扱う注解書である。内容はシリーズに共通する構成に従い、まず全体の「緒論」が記され、その後、単元ごとに順次テキストを取り上げ、【翻訳】【形態/構造/背景】【注解】【解説/考察】の順に解説が行われる。【翻訳】における私訳、【形態/構造/背景】や【注解】における最新の研究を含む聖書学の知見からの叙述など、いずれも著者の学問的な蓄積と洞察を表しているが、その筆致は概して分かりやすく平易である。【解説/考察】はこうした叙述を踏まえて、著者の思想や見解が示される部分であり、最も関心を持って読ませていただいた。言うまでもなくこの部分も神学的聖書学的視点からの解説が主となるとはいえ、それと共に現代の教会や世界に直接訴える数々の洞察や示唆を著者は記している。ここには長年にわたって牧師としても働いてこられた筆者の姿が反映されているのかもしれない。
若干の例を挙げるなら、まず1章10~20節のイザヤの祭儀批判をめぐって、著者はその批判の内実を「祭儀」そのものよりも「(礼拝する)ひと」の問題、そして「社会正義」や「倫理」と関わる問題として記すが、これなどは私たちが礼拝を考える際の問題提起として常にわきまえるべき指摘であろう。また平和を求める「剣を鋤に、槍を鎌に打ち直す」という有名な句を含む2章1~5節について、元来は農民兵を徴集するための「標語」であった「鋤を剣に、鎌を槍に」を、あえて「イザヤはそのスローガンを逆転させ、諸国民が戦いを止め、農耕に勤しむことを促している」(六二頁)という。この句はイザヤ以外の複数の預言書でも取り上げられており、「剣を鋤に」なのか、「鋤を剣に」なのか、大きく揺れ動く世界と日本の現実のもとで、今日私たちが改めて学ぶべき箇所であると思わされた。
今回、本書を読んで「書き継ぎ」(Fortschreibung)という術語を教えられた。「ある時代に書き記された言葉を、後の時代の人々が自らの問題状況の中で新たに受けとめ、書き進めること。『発展的加筆』とも訳される」(一〇一頁)という。聖書学における伝承史、編集史、影響史などと関わる用語であろう。「書き継ぎ」はイザヤ書が形成されるまでに如何に多くの人々がそれに関与し、熟考し、一字一句を加えてきたかを示している。本書はこうした視点を踏まえながら、イザヤ書の中の多様性と統一性を指し示そうと努めている。さらに言えば、ある意味、説教もこうした「書き継ぎ」という作業の今日的な営みであると言えるだろう。説教者は「良い書き継ぎ」を求めて過去の「書き継ぎ」から学ばなければならない。
イザヤ書は重要な旧約の文書であると同時に新約聖書の中で多く引用され、「苦難の僕」などいくつもの重要な主題の淵源となる文書である。それだけに多くの注解や概説が書かれてきたが、本書(13章以下の今後の注解も含めて)はその中にあってひとつのスタンダードなイザヤ書注解の位置を占めるものとなることを期待させる良書である。
越川弘英
こしかわ・ひろひで=同志社大学教授