現代人の心に響く言葉が詰まった珠玉のエッセイ
〈評者〉森島 豊
中高生のころ校長が礼拝の後に短い講話をされる機会がありました。その言葉には迫力があり、心を打つものでした。その校長が本書の著者、平塚敬一先生です。本書は先生の豊かな経験と情熱が凝縮された素晴らしい書籍です。この書評では親しみを込めて「先生」と呼ばせていただきます。
本書は、現代を鋭くとらえ、この時代に生きる人々に必要な言葉を伝えるエッセイと聖書の黙想、そして講演の三部構成です。エッセイと聖書黙想は二〇一九年一月から二〇二二年十二月まで毎月一つずつ掲載されています。この期間に社会で起きた様々な事件や出来事に真摯に向き合っています。先生はその事件に現れた社会問題の本質を簡潔かつ的確に表現し、単なる知識の提供に留まらず、聖書が語る「人間」として成長するための知恵を身につけることに焦点を合わせています。そのため、すべての言葉が聖書の信仰に支えられ、御言葉に向き合う姿勢へと素直に導かれていきます。特に印象的なのは、東日本大震災で祖母を亡くした女子大学生への言葉です(一八六─一八七頁)。不条理を経験した彼女の心の傷に対しても、先生は聖書の物語から、まるで彼女に直接届けるかのように力強い言葉を響かせました。読み応えのある文章には心に深い感動が残ります。
先生の言葉の迫力は、ご自身の戦争体験からもたらされているように思われます。鹿児島大空襲や「ヒロシマの原爆」、無謀な作戦で奪われた若者たちの命を思い巡らし、「現実と真実を正しく見つめる鋭い感性を持たねばならない」(一二三頁)と訴えます。政治家の腐敗と倫理観の欠如、そして教育への政府の介入に対する辛辣な批評が語られ、教育者に向けた重要な提言も含まれます。特に講演ではこの問題の経緯を整理し、現在の教育に起こっている深刻な問題を明らかにしています。驚かされるのは時代をとらえる言葉のアンテナの広さです。古典や名著だけでなく、新聞記事や映画、歴史的人物から現代の歌手にまで幅広い引用があり、深い教養と豊かな感性を感じさせます。
本書には先生のリアルな「生」を生きる言葉が溢れています。特にお連れ合いを天に召された期間には、ある種の危機と苦難の中から生まれた言葉が、読者に大切な感覚を思い出させます。同時に、キリスト教教育に対する使命を感じさせる言葉があります。「あとがき」では次のように告白しています。「私はキリスト教学校が好きだとしか言いようがない。好きだというのはキリスト教学校に対して大きな期待を持っているからだ。……キリスト教学校が日本の社会の中で役割を果たすのはこれからだと思っている」(三三八頁)。キリスト教学校の役割に対する期待と愛情が込められた本書は、説教者や教育者にとって非常に価値のあるものです。
牧師となった先生の教え子が、毎月送られるエッセイと黙想を通して「説教する言葉を見つけた」と耳にしたことがあります。実際に、読んでいて説教したくなります。本書を読むと、今がどんな時代であるかわかるからです。現代人の心に響く言葉が詰まっており、キリスト教教育と聖書の信仰に興味のある読者にとって必読と言えるでしょう。
森島豊
もりしま・ゆたか=青山学院大学教授