新たなパレスチナ連帯の実践的分析
〈評者〉岩城 聰
本書は、新たなパレスチナ連帯を模索する連続ティーチインから生まれた八編の論文集である。第一章以下ではそれぞれ、フェミニズム、イスラエル占領下のロジスティクス、アメリカ黒人解放闘争、SOGI(性的指向および性自認)をめぐるイスラエルの政治、在日朝鮮人の闘争とパレスチナ、日本の社会運動、ジェンタイル・シオニズム、パレスチナと共闘する宗教という視点から多角的にパレスチナとの連帯について、実践的な立ち位置から出発する深い分析を伴った論文を収録している。
それらの論文に通底する問題意識は「交差性」である。全体の導入を担当している堀真悟は、ブラック・フェミニストのアンジェラ・デイヴィスの言葉を借りて、交差性とは「人種やジェンダー・セクシュアリティ、階級、国籍、能力、障害などのカテゴリーはそれぞれが独立して存在するのではなく相互に構成的な関係にあること」を示す概念であるとした上で、さらに「闘争の交差性」なるものを提示している。それぞれが直面する不正義に挑戦する複数の闘争を交差的に考え、そのようなものとして連帯を作り上げていく可能性があるのではないかという問題提起である。
現代社会は、民族、階級、宗教、ジェンダー、LGBTQ、レイシズム、開発経済・ロジスティクスによる搾取などの多様な課題が入り組んで存在している。一つの課題に取り組んでいる運動体が他の闘争課題を自覚的に取り込んでいくことがしばしば起こりうる。本書では、「パレスチナはフェミニストの課題である」とするパレスチナ・フェミニスト・コレクティヴ(PFC)の例を取り上げている。また米国の大学キャンパスでは、黒人、イスラム、ユダヤ人各々に矛先が向けられてきたレイシズムへの抗議が、互いに疎外し合う関係から連帯の方へ向かう気運にあるとの指摘は重要である。在日朝鮮人の闘争の中からパレスチナの反シオニストの闘いが見えてくるのもその一例であろう。
同時に、そうした交差性の中から負の交差性ともいうべき現象が現れてくることもある。例えば、米国の主流派フェミニストの間でイスラエルを賛美する声が聞かれ、パレスチナ人フェミニストの抑圧に加担している事態がそれである。日本でも在日朝鮮人、被差別部落、沖縄、アイヌ、反原発などそれぞれの運動が連帯へと向かわず、相互の無理解と差別を生みだしている局面があることも否めない。
評者は二〇一五年、パレスチナ解放の神学センターを通じてパレスチナを訪問し、パレスチナ人クリスチャンとの交わりを深め、センターの創立者、ナイム・アティーク司祭の最近の著書を『サビールの祈り─パレスチナ解放の神学』という題名で翻訳・出版した。その関係から、特に第七章「ジェンタイル・シオニズムとパレスチナ解放神学」(役重善洋)を興味深く拝読した。役重氏は、キリスト教シオニズムをあくまでも「政治的行動」と捉え、聖書解釈や信仰のあり方に本質を求めないというロバート・スミスの議論を紹介しているが、評者は、シオニストたちによる聖書の恣意的解釈とレイシズムを容認し、さらに福音派の神学によってそれを補強する「キリスト教シオニズム」を透徹した批判の対象としなければならないと考えている。
岩城聰
いわき・あきら=日本聖公会大阪教区退職司祭