大学で聖書の講義を担当するようになって間もなくの頃、私の授業を聞いていた学生の一人から「先生は本当に楽しそうに聖書の話をしますね」と言われました。私は聖書ほど面白い本はないと思っています。なので、大学で若者に聖書の話をできることがうれしくて、楽しくて、大好きなのです。そういう意味では、若者と一緒に読みたいのは、何より『聖書』です。しかし、それではお題に応えたことにならないようなので、そのことも踏まえつつ、三つのテーマに基づいて若者と分かち合ってみてはどうかと思える本を紹介します。
旧約新約聖書ガイド─創世記からヨハネの黙示録まで
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『旧約新約聖書ガイド─創世記からヨハネの黙示録まで』
・A. E.マクグラス:著
・本多峰子:訳
・教文館
・2018年刊
・A5判734頁
・7,920円
最初に、「若者と一緒に〈聖書〉について考えるなら」というテーマになりますが、A・E・マクグラス著『旧約新約聖書ガイド 創世記からヨハネの黙示録まで』(本多峰子訳、教文館刊)はいかがでしょう。そもそも聖書とはどういう文書であるのか、また聖書を読むときに気をつけておきたいことなどに触れられている「第1部 序論」はタイトルどおり良い「ガイド」になると思います。「第2部 聖書注解」では、聖書の各文書の大まかな内容を知ることができます。〝面白い〟けれども読みやすいとは言えないところもある聖書というものに挫折しないためには、アウトラインをつかんでおくことが有益であると私は考えています。この本は「第3部 資料」の部分も含めて、その助けになると思います。聖書そのものの巻末についている「付録」とあわせて活用したいところです。
注解の合間に挿まれている「コラム」には、聖書を読んでいると浮かんでくると思われる様々な疑問が取り上げられています。そこに書いてあること自体から必ずしもスッキリとした回答を得ることはできないかもしれませんが、自分たちはそのことについてどう思うかという語り合いのきっかけを与えてくれるものではないかなと思います。「そんなこと考えもしなかった!」という人には、より〝積極的に〟聖書を読むための読み方のコツのようなものを教えてくれるものとして機能するかもしれません。
先ほど述べた「アウトライン」については、この本の場合、〝文書ごとの〟ということになるかと思います。もう少し『聖書』全体のあらすじをつかむという意味では、拙著『読める、わかる、聖書のストーリー』(キリスト新聞社)がお役に立てるかと思います。
N. T.ライト新約聖書講解1 ─すべての人のためのマタイ福音書1 1~15章
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『N. T.ライト新約聖書講解1 ─すべての人のためのマタイ福音書1 1~15章』
・N. T.ライト:著
・大宮謙:訳
・教文館
・2021年刊
・四六判336頁
・3,080円
さて、続いては「若者と一緒に〈キリスト教〉について考えるなら」というテーマですが、N・T・ライト著『すべての人のためのマタイ福音書 1』(大宮謙訳、教文館刊)を挙げたいと思います。これは「この一冊」というより、「このシリーズ」を〝期待を込めて〟取り上げます。
聖書そのもののガイドラインというよりは、一歩踏み込んだ「説教」を読む感覚で、個別のテキストについてより深く考えることができます。聖書テキスト(私訳)に続く説教の〝マクラ〟に当たるような本文の導入部分にはピンと来ないものがあるだろうとは思うものの、テキストの背景、複数の解釈の可能性などが程良い長さにまとめられており、聖書の言葉の分かち合いのきっかけとしても適しています。
本書において聖書から導き出されているキリスト教的発想や〝言葉遣い〟は、若者との対話において格好のテーマとなるでしょう。例えば、著者はイエスの奇跡と「権威」というものを結びつけて語ります。これは私には同意できるものですし、講義でもそのような考え方を紹介してきました。すると、この「権威」という言葉が「イヤな感じだ」と、拒否感や嫌悪感のようなものを示すリアクションをされることがあります。聖書協会共同訳が神から人間への語りかけに「お前たち」ではなく「あなたがた」という訳を選んだのは、最近の若い人には上から目線の物言いが受け入れられないだろうと判断したためと聞きましたが、こちらには私は同意できていません。しかし、事実そのような感覚を若い世代は持っており、そこに「対話」の必要性と、「対話」していくことの意義もまた感じるのです。
その他、最近の学生たちが、よく〝引っかかっている〟のは、マタイによる福音書20章の「ぶどう園の労働者」のたとえや、ルカによる福音書15章の「放蕩息子」のたとえです。前者は、少し前にネット上に散見された「自分が特に損をするわけでもないのに他人が得をするのが許せない人が増えている」という話と一緒に扱うと、「わかる」という学生が一定数出てきます。後者はレポートの課題に取り上げて感想を聞くのですが、「兄に同情する」という意見が必ずあり、それは年々増えているような印象を受けています。(そう言えば、聖書協会共同訳では「放蕩」という言葉は使われていませんね。なぜなのでしょう。)ある時期から日本の若者たちが共通して持っていると見える「公平」や「平等」の感覚と、これらの個所に表れている「救い」や「神の愛」との間には、どうもズレがあるようです。さて、それらをどう分かち合ったらよいでしょうか。その点について本シリーズの続巻が、良き対話の橋渡しをしてくれることに期待します。
「Z世代」(1990年半ば〜2010年代に生まれた世代)と呼ばれる若者の消費の動向は脱物質化の方向にあると言われたりします。これは「キリスト教」の持っているもの、大切にしているものが彼ら彼女らに対して響く可能性があることを意味しているのかもしれません。
ラッシュライフ
最後に、「若者と一緒に〈信仰〉について考えるなら」ということで、おススメしたいのが伊坂幸太郎著『ラッシュライフ』(新潮社文庫刊)です。これはジャンルとしてはミステリーになると思われる小説で、人間の「信仰」について考えるうえでよい示唆を与えてくれる一書です。その特徴ゆえにネタバレになりますので詳しいことは書けませんので、新潮社のホームページにある作品紹介を転載します。「泥棒を生業とする男は新たなカモを物色する。父に自殺された青年は神に憧れる。女性カウンセラーは不倫相手との再婚を企む。職を失い家族に見捨てられた男は野良犬を拾う。幕間には歩くバラバラ死体登場─。並走する四つの物語、交錯する十以上の人生、その果てに待つ意外な未来。不思議な人物、機知に富む会話、先の読めない展開。巧緻な騙し絵のごとき現代の寓話の幕が、今あがる」。面白そうと思われた方─面白いです。とにかく、小説として抜群に面白いという点でおススメしたいのですが、若者にもきっと読みやすいと思いますし、なんなら読んだという人も多いかもしれません。
〝神に憧れる青年〟のパートから特に直接的に「〝神〟とは何か」「〝信じる〟とはどういうことか」といった問題提起を受けますが、一つにはそれらを通して「信仰」や「宗教」について語り合ってみてはどうかと思うのです。青年の抱く近寄りがたいものへの〝憧れ〟がはらむ危うさ。彼を取り巻く「集会」のメンバーたちが抱いた思いは、信仰の暴走なのか、当然の帰結か、あるいは、そもそもそれは信仰ではないのか……。名探偵が名探偵であり続けるためには、「事件」が必要─では、神が神であり続けるためには、メシアがメシアであり続けるためには何が必要なのか……。他の登場人物のパートにも、考えさせられる材料は散りばめられています。まずは一人でじっくり考えてみるのもいいでしょう。少なくとも私は考えさせられました。
この作品を通じて、「信仰」について、また、それぞれの思い描く「芳醇な人生(ラッシュライフ)」について分かち合ってみてはいかがでしょう。もしかしたら、自分にとってイエス・キリストとは何者なのかといったことについても深く考える契機となるかもしれません。そうしたら、その問いを携えつつ、『聖書』を読んでみてください。その際、前掲の二書(+拙著)をお手元にどうぞ。
竹ヶ原政輝
たけがはら・まさてる=日本キリスト教団高の原教会牧師、同志社大学嘱託講師