謙虚な姿勢で、独自性高く、事例に則した解明
〈評者〉島薗 進
スピリチュアルケアとは何か。現在、変容しながら、広められ、深められている事柄である。それだけにわかりやすく説明するのは容易でない。ところが、この書物は、それを現場の経験に即して、たいへんわかりやすく説明してくれている。
まず第1章は歴史篇と言える。現在、諸宗教、ひいては無宗教の人々にも次第に深く関心をもたれるようになっているスピリチュアルケアだが、もとはキリスト教の牧会ケアにある。では、牧会ケアはいつどのように形をなして来たのか。キリスト教には「たましいのケア」の長い歴史がある。だが、二〇世紀に入ってそれが新たな様態に展開する。「顔の見える一人ひとりを大切にし、それぞれの抱える問題を支援するように」なる。アントン・ボイズンやリチャード・キャボットにより臨床牧会訓練が体系化され、学問的にも基礎づけがなされるのは一九四〇年代のことだ。
第2章、第3章はスピリチュアルケアの核心的な要素をどう捉えるかについての理論を取り上げ、それを著者のケア経験に即して説明したものだ。村田久行氏が終末期医療のためにスピリチュアルペインを時間的、関係的、自律的という三側面から現象学的に分析する方法を提示した「村田理論」だが、著者は死を前にした数人の患者さんの事例に即して説明するとともに、この議論だけではケア者側からの一方通行のケアになる危うさがあることを示している。
第3章では、上智大学でのスピリチュアルケア師養成プログラムで伊藤高章が用いている、自己相対化を経た「新たな場の創出」の考え方について説明している。ケア者側が思い込みを押し付けないために、その都度、自己が感じていることを自覚することに力点を置いたケアのあり方だ。これを國分功一郎による西洋言語学の「中動態」の理論と照らし合わせている。ここでも著者自身が自己を捉え直すことで、他者と感じ合う場が現れた事例が効果的に用いられている。
第4章ではケア者の信仰が基盤となる「宗教的(牧会)ケア」とケアされる人の世界に即してケアが構成されていく「スピリチュアルケア」をいちおう分けた後で、両者の適切な関係づけが探られている。事例に即して区別はできるが、宗教に対して柔軟な捉え方がなされるとき、両者は重なり合っている。だが、信仰をもつが故の強さとそれ故の辛さもあると捉えられている。
第5章「ケアを受ける立場から」では、著者の義母がクロイツフェルト・ヤコブ病で亡くなったときの患者家族としての経験から、急激な認知症的な症状に襲われた患者の家族が被る苦しみと、それが解きほぐされるに至る過程について述べている。第4章の事例でも死にゆく人に「天国に行く」という信念がある場合、そのことが遺族にもつ意味が語られている。そのような方向での受容を助けるケアについて考察されている。
著者はキリスト者であり、長く牧会ケアとスピリチュアルケアの研鑽を積み、その実践に携わってきた。その中で培われた柔らかい感性と苦難のなかにある人への謙虚な姿勢が随所に感じられ、スピリチュアルケアとは何かが事例に即して理解される。キリスト教の伝統を踏まえつつ、その枠を超えたスピリチュアルケアのあり方がよく見えてくる、独自性の高い好著である。
島薗進
しまぞの・すすむ=上智大学グリーフケア研究所元所長、東京大学名誉教授