「祈りの糸」を伸ばし、仲間とつながる
〈評者〉須藤伊知郎
二〇二〇年六月末、香港国家安全維持法が可決施行され、民主活動家の逮捕、団体の解散、メディアの廃刊等が続く中、松谷曄介氏の発案で一二人の牧師が呼びかけ人となり、 同年一〇月三一日からオンラインの「香港を覚えての祈禱会」が始まった。香港からの参加者もあり、リスク管理の必要から当初は招待制であったが、毎回約七〇人(延べ三〇〇人超)の参加があり、今年四月二三日で八回を数えた。本書はこの世代・教派・国籍を越え、どの組織にも属さない「日本キリスト教史における画期的な祈りの運動」(帯)の記録である。
全体の構成は、序論(森島豊)に続いて、第一部は第七回までの祈禱会の内容(説教、香港からの声、共同の祈り)、第二部は呼びかけ人のうち五人による神学エッセー、そして編者あとがき(松谷)となっている。
ここでは紙幅の都合で「説教」を中心に紹介したい。松谷「祈りの約束」は、香港中文大学・崇基学院神学院で「香港のために祈る」と約束したことを想起し、「私はその約束を、今こそ果たしたい」と語る(二八頁)。それは「互いに持っている信仰によって、励まし合う」(ロマ一・一二)ためである。朝岡勝「闇は光に勝たなかった」は、「『祈ることしかできない』のでなく、『祈ることこそしよう』」「何もできない最後の言い訳のような祈りでなく、祈ることから始まる最初の決心として祈ろう」と呼びかける(四〇頁)。大嶋重徳「祈りの力」は、「神様は、私たちのどれだけ貧しい祈り、小さな祈り、『この祈りは聞かれないかもしれない』と祈りながらも勝手に諦めている祈りをも聞いてくださる」と確言する(五八頁)。平野克己「抵抗せよ悪魔に」は、一ペトロ五・九を講解して、「私たちは共に集う。頑固なまでに、神にしがみつきながら、祈りの場に集う。そうして共に祈り、共に歌い、共に笑い、共に泣く。そのとき、私たちは『悪魔』に抵抗して」いる(六七頁)と語る。伽賀由「キリストの平和に生きる」は、「教会の中で平和について話をすると、いや福音が大事だ、救いだ、と言う人が出て」くる。しかし、「平和そのものであるキリストご自身が告げ知らせるものは、『平和の福音』であって、『平和』も『福音』も、この二つを分けることはできない」と言う(八〇~八一頁)。そして、唐澤健太「神の国の幻をみつめて」は、コロナで急逝した楊建強師を悼み、私たちは「『神の国の幻』……を見つめつつ、決してこの世から離れて生きるのではなく、……『その完成を目指して』、いまこの時与えられた場において、『神の国の幻』に生きる」と語る(一〇〇頁)。
「香港からの声」は他では聞けない現場の声を、エスター・チェン(仮名)、孫宝玲、ジャスティン・ラウ(仮名)、王少勇、カリダ・チュー、そしてマシュー・ライの各氏が寄せている。「神学エッセー」(平野克己、大石周平、朝岡勝、三輪地塩、松谷曄介)は、「バルメン宣言」「香港二〇二〇福音宣言」(松谷編訳『香港の民主化運動と信教の自由』教文館、二〇二一年、四〇頁以下参照)を踏まえ、それぞれの仕方で「信仰告白の事態」を語っている。編者が「あとがき」に記しているように、「夜明けを共に待ちながら……『祈りの糸』を伸ばし続ける仲間が、一人でも多く増えることを願って」やまない。
須藤伊知郎
すどう・いちろう=西南学院大学教授