チャイルズの解釈学的手法からメシア預言の使信を探る
〈評者〉鎌野直人
英語圏で著名な聖書学のポッドキャスト「OnScript」において「最近五〇年の聖書学の著書で最も重要なものはなにか」というアンケートが出演者に投げかけられると、多くの旧約聖書学者はB・S・チャイルズの『聖典としての旧約聖書入門』(未翻訳、一九七九年)と答える。その一方で、チャイルズの著作のなかで和訳されたのは『出エジプト記─批判的神学的注解』(一九九四年邦訳)と『教会はイザヤ書をいかに解釈してきたか─七十人訳から現代まで』(二〇一八年邦訳)にとどまり、チャイルズが提案したカノン的解釈を適用してきた邦語による研究は数少ない。
今回、『教会はイザヤ書をいかに解釈してきたか』の翻訳者の一人で、東京神学大学常勤講師の田中氏が、二〇一八年に東京神学大学に提出した博士論文が出版されたことは、日本の旧約聖書学研究において画期的なことである。
その理由の一つは、チャイルズの提案するカノン的解釈(従来「正典的解釈」と呼ばれている)の全体像が日本語でまとめられたことである。各書の形成から最終形態へのプロセス、後の世代の解釈のために置かれた「インターテクスチャリティー」、この枠組みを踏まえている聖書解釈の歴史など、誤解されがちなカノン的解釈の特徴を正確に説明している。さらに、信仰の基準とカノンとの間に存在するよりダイナミックな関わりを注意深く表現している。第一章は旧約聖書学緒論研究に不可欠なものとなると評者は確信する。
本書が画期的であるもう一つの理由は、複層的な特徴を持つカノン的解釈の中で、旧約聖書の「字義的意義(sensus literalis)」を、最終形態のテクストの共時的なインターテクスチャリティーのみならず、編集者たちの意図した通時的なインターテクスチャリティーをも踏まえて検討したことである。通時的か、共時的か、という二分的な解釈ではない、テクストの字義的意義の複層的な次元を踏まえたものを提示している。具体的には、一─一二章の王に関する預言を通して「新しいダビデ」のビジョンの地上的及び終末的待望の両者を明らかにし、四〇─五五章の主のしもべに関するテクストから、新しい出エジプトをもたらす「新しいモーセ」のビジョンの歴史的及び終末論的次元を論証した上で、この二つのビジョンが最終形態においては相互補完的であり、包括的なメシア像を提示し、「律法と預言者」という神学的文法と共同体の礼拝という営みの文脈に足場を置いていることをインターテクスチャリティーの検討から示している。
評者は、田中氏の研究に感謝の意を示すとともに、激励として、疑問点を挙げておきたい。まず、七章一四節と八章三節のつながりは簡単に否定できるのだろうか。次に、「新しいモーセ」という視座は主のしもべの理解を深めるものなのか、歪めてはいないか。最後に、「四つのしもべの歌」という歴史的批評的視座が、四〇─五五章の修辞学的特徴の理解を妨げてはいないか。今後の田中氏の研究に大いに期待している。
なお、ヘブライ語が二行以上にわたって引用されているとき、そのテキストの文頭が下の段から始まるように並べられている点に違和感を感じることを付記しておく。
鎌野直人
かまの・なおと=関西聖書神学校校長