「沈黙の共謀」に対する多種多様なLGBT証言集
〈評者〉新免 貢
本書は、近代のあらゆるシステムに巧妙に刷り込まれた「男と女」の二分法の限界に気づかせ、現代に適合した豊かな人間理解へと導く感動的な良書である。聞きなれないセクシュアリティ関連用語や若干のキリスト教用語の読み物的解説、絵本・漫画を含む関連図書や映画の紹介、並びに、フェイスブック上の性別表記や支援団体に関するミニコミ紙風のコラムには有益な情報が満載である。各執筆者の記事に付された監修者メッセージは、痒い所へ手が届く温かさが感じられる。
本書を読むうちに、世界を熱狂の渦に巻き込んだレディ・ガガのヒット曲『ボーン・ディス・ウェイ』(二〇一一年)を聴いているかのような気にさせられる。「アタシはアタシ」「あるがままに」というメッセージが強い残響音として残る。心に深い痛手を負わされた当事者の差別体験とカムアウト時の緊張は表現しえないものがあるに違いない。傷つけられずにいる自分自身の日常と、好奇の的にされ、蔑視にさらされている当事者たちの日常との間には長くて深い溝が横たわっている。しかし本書では、その溝の中から、社会のありとあらゆる所に人間として存在するLGBTを「あの人たち」ではなく、「私たち」と呼べるようになるまでの共感の道筋を訴える声が聞こえてくるのである。
神はLGBTを排除しないという健全な創造信仰が本書全体を貫いている。しかし、一部の証言者は抑え気味に述べているが、世界宗教たるキリスト教は、「聖書ではそう述べている」という言い方でLGBT当事者たちを苦しめてきたことの責任は問われるべきである。一九七八年に暗殺されたゲイ人権活動家でサンフランシスコ市会議員のハーヴェイ・ミルクは、聖書の言葉の意味がねじ曲げられていることに対して宗教指導者たちが音なしのかまえでいることを「沈黙の共謀」と非難したことが思い起こされる。
LGBT理解が社会に広まりつつあることは歓迎すべきだが、手放しで喜ぶわけにはいくまい。LGBTが主流派から遠く離れた異界の存在とされていることに変わりはないからだ。LGBTが社会の生産システムに役立った上で、「物わかりの良い」LGBTとして異界におとなしく居続けることに社会は安心する。評者が遭遇したアイスランドの首都レイキャビクのプライドパレードは、拍手喝采だけではなく、怒号も浴びせられながらの行進であった。そこにLGBTが置かれている現実の一端がうかがわれる。
ついでながら、文献学的に言えば、「中性が人間本来の形」という執筆者の考え(本書二一四ページ)は、「男と女(ということ)はない」(ガラテヤ三・二八)という斬新な洗礼式文中の微妙な言い回しの含蓄を引きだしていると思う。初期キリスト教の多様な思想的潮流を探求しようとする研究者は今後、その言い回しの背後にまで迫り、キリスト教の人間理解を再構築すべきであろう。
最後に、「沈黙の共謀」に対して証言してくださった方々へ感謝したい。「LGBT」と概念化されてしまっている当事者たちが渾身の力を込めて紡ぎ出したいのちの言葉は、人知れず苦しんでいる世の多くの人たちのいろいろな痛みと深く、広くつながっているに違いない。本書には老若男女を問わず、多くの読者が与えられる予感がしている。
新免貢
しんめん・みつぐ=日本基督教団西宮公同教会牧師・宮城学院女子大学附属キリスト教文化研究所客員研究員