傷んだ世界を癒やす素朴な祈り
〈評者〉吉川直美
ひと時の黙想 全き心を求めて
ストーミー・オマーティアン著 日本聖書協会訳
A6判変型・432頁・本体1980円・日本聖書協会
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丁寧な執筆依頼とともに届けられた小さな本─手に取って見ると、そこには五感で味わう祈りの小宇宙がありました。素朴な野の花の挿絵、レイアウト、書体、手触り、重さに至るまで、慈しみと調和に満ちています。その上、昨今の出版物には珍しく、糸で綴じられているので、喉奥まで開いても本が割れることはありません。つまり、読者が日常の様々な場所で開き、長年にわたって愛読することを想定して造られているのです。そこに編集者の愛と信頼を見る思いがしました。
本書は、同サイズの黙想シリーズの四作目にあたります。著者はストーミー・オマーティアン。子どもや夫婦、あるいは自分自身のため、成育過程で傷ついた人のため、というように現実に根ざした祈りの書を数々手掛けていて、祈りによって人生を変えたいと願っている人にとっての心強い導き手となっています。
さて、それにしても本書はシンプルです。毎日の黙想書と言えば、その日の聖書箇所から著者が受け取った促しや慰め、時には鋭い問いかけなど、読者へのメッセージが綴られていることが多いものですが、オマーティアンはごくごく短い聖書のことばに、「主よ」で始まる素朴な祈りを、昨日も今日も明日も、ただただ静かに捧げています。
しかし、彼女の導く祈りには確固たる目的があることが「初めに」で明かされています。それは祈りを通して、「全き者」(whole)となることです。私たちは「全き者」と言われると、完璧(perfect)を思い浮かべてしまい、とても無理だと怖じ気づいてしまいます。
ところがオマーティアンは、全き者とは「神がお造りになった私たちの姿そのもの」、全き心とは「負の感情を持つことなく生きること、自分という存在や人生の行く末に、平安があること」だと言います。私は、トマス・マートンの「聖人になるとは、自分自身になること」という言葉を思い起こして、深く頷きました。私たちの目指すところは、高潔な人物になることではなく、神の前で覆い隠す必要のない自分へと、回復していくことなのです。人生において、これ以上に尊く、かつ素朴な目的があるでしょうか。
一方、その妨げとなるのは、不安や恐れや赦せない思いといった誰にでもある負の感情です。存在の根底において、神と断絶してしまった私たちは、神の命の言葉に対して従いきれず、私たちへの神のご計画も信じ切れずにいますが、彼女自身もそのような過程を辿った者として、私たちが求めるべき本来の姿へとつねに導いてくれるのです。およそ二週間ごとに、「人を赦し、過去から自由になりたいとき」というようにテーマが立てられているので、今の自分に必要なテーマを選んで祈ることもできます。
傷んだこの世界にあって、二人三人と、この小さな本を手にとって、素朴な祈りを捧げていくなら、やがて一日一日の祈りが響き合い、ひとりひとりの祈りが重なり合い、私たちはきっと癒やされていくでしょう。新しい年、信仰共同体の仲間と共に読むならば、弱さや限界を抱えた自分に呻きつつも、いつしか神に愛された作品として、共に未来を生きることができるでしょう。─主よ、信じます。どうかそのために、本書を用いてください。
吉川直美
よしかわ・なおみ=シオンの群教会牧師、聖契神学校教師