『本のひろば』は、毎月、キリスト教新刊書の批評と紹介を掲載しております。
本購入の参考としてください。
2014年6月号
出会い・本・人
私とパウル・ティリッヒとの出会い(岩城聰)
本・批評と紹介
- 『批評としての旧約学』並木浩一著、日本キリスト教団出版局―(高橋一)
- 『わたしはなぜファンタジーに向かうのか』斎藤惇夫著、教文館―(中村柾子)
- 『神の元気を取り次ぐ教会』石田順朗著、リトン―(森野善右衛門)
- 『礼拝の詞1』日本聖書神学校キリスト教研究所編、ヨベル―(越川弘英)
- 『学問論と神学』W.パネンベルク著、教文館―(佐々木勝彦)
- 『私の歩んだキリスト教』古屋安雄著、キリスト新聞社―(深井智朗)
本・紹介
- 『大学のあり方』スタンリー・ハワーワス著、ヨベル―(エッセイ:東方敬信)
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編集室から
洗足木曜日(復活前木曜日)を迎えると決まって思い起こすことがある。東京都大田区に「洗足池」という池があり、付近に日本基督教団洗足教会とカトリック洗足教会がある。洗足という名の由来は、鎌倉時代に日蓮上人が旅の途中、この池で足を洗ったという故事による。近隣のクリスチャンであれば、教会名が地名によることがわかるであろうが、そうでない人にとっては、なんと聖書的な教会名であろうかと感嘆するのではないだろうか。余計な詮索ではあるが、二つの洗足教会で行われる復活前木曜日とは、いかなるものであるかと興味が湧く。
復活前木曜日は、聖餐が設定された日である。またこの日には、「国王・主教・修道院長などが貧しい人々の足を洗う慣習があった(キリスト教大事典)」という。たとえ形式であろうとも、人の足を洗うことには抵抗がある。だからこそ、それを実践することによって、日頃の驕慢を修正することができたのであろう。
私事で恐縮ではあるが、三月に八十四歳になる私の母が、洗足池近くの大学病院に入院した。入浴もままならない母の細くなった足をタオルで拭いた。田舎育ちで頑強な身体を持っていたはずの母の足を拭くなど思いもよらないことであった。しかし、その時、ペトロの足を洗う主イエスの御姿(ヨハネ13・1~15)を思い起こして心から慰められた。ふと窓の外を見ると、偶然(全くの偶然!)ではあるが、日本基督教団洗足教会が見えた。 (寺田)