達意の訳による聖霊の迫りに満ちた一冊
〈評者〉谷本 仰
2月1日、ミャンマーで軍事クーデターが起きた。平和と民主化を求める人々が歴史的な市民的不服従運動(CDM)へと立ち上がった。軍と、その手先と化した警察はこれに容赦ない暴力で弾圧を加え、ミャンマーの人権団体「政治犯支援協会」(AAPP)によれば、5月17日の時点ですでにこどもや医療従事者も含め802名が殺害されている。
インターネットを通じて、傷つけられる人々の叫び、そしてそれでも立ち上がり続ける姿が伝わってくる。何ができるのかを問われ、無力感に苛まれる日々。
そんな中、この本を読んだ。著者ジョン・ディアはアメリカ合衆国のカトリック司祭で、平和運動家。「彼には三十年を超える非暴力と平和創造の働きがあります。反戦の市民的不服従行動によって80回以上の逮捕歴があり、1993年の『鋤武装解除行動』(空軍基地に侵入して、核ミサイル搭載可能な戦闘機をハンマーで叩くという『預言者的象徴行動』)によって八ヶ月投獄されました」(訳者あとがきより)。
本書は「心の貧しい人々は幸いである」から始まる山上の説教の冒頭の八つの祝福のひとつひとつを、イエス・キリストの平和を生きるための具体的指針として提示する。暴力に従わない信仰を実践する道を指し示すガイドブックであり、祈り、黙想、内的平和・平和的霊性に満ちた生活のためのHow to 本でもある。
第3章「悲しむ人々は幸いである」で著者は言う。「週に一度、あるいは毎日でもよいのですが、時間を取って、嘆き悲しむ必要があります。神と共に沈黙のうちに座し、数千の姉妹・兄妹について嘆き悲しみ、数百万もの被造物と被造世界そのものについて悼み、私たち共通の喪失による悼みに心を引き裂かせるのです」(52頁)。キリスト者には悲嘆という手段がある。信じる者は悲嘆することが、できる 。悲嘆はミャンマーで立ち上がり続ける人々に伴い歩む主イエスと響き合う祈りであり、非暴力で闘う人々とつながる道。そのことが示されていて励まされる。
著者がこのコロナの情況の中で関わった非暴力平和創造行動は、2020年だけで4058回を数えたという(訳注38)。何もできない一年だった、などと言っている場合ではなかったのだ。
最終の第13章は圧巻。著者はイエスの祝福「幸いである」について「立ち上がって前進せよ」という訳を採用し、山上の八つの祝福に全く新しい光をあてて畳みかけ、読む者の心を燃やす。そして本書の結論は、これに基づく祈りで静かに閉じられる。豊かな礼拝に与ったような気持ちになって、溜息と共に本を閉じた。
まるで著者本人が日本語で直接語りかけてくるように感じられるのは、志村真さんの訳に負うところ大。「のっけから」「ガッと反応」「自分で自分に突っ込みを入れて」など、普通の訳者なら使わないような日常的な表現が訳語として随所に散りばめられていて、うれしくなる。探してみてほしい。
また、訳者の丁寧なリサーチに基づいて付記された訳注の数々は、読者がさらに本書の促す平和創造について深く理解し、さらにこれらを手がかりに平和に関する学びや思索を広げるのにも役立つものとなっている。
さあ、どうする。平和のための祈りを、今、字句どおりに生きるのか生きないのか。聖霊の迫りに満ちた一冊。
山上の説教を生きる
八福の教えと平和創造
ジョン・ディア著
志村 真訳
四六判・216頁・2090円(税込)・新教出版社
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谷本仰
たにもと・あおぐ=日本バプテスト連盟南小倉バプテスト教会牧師