和解と一致の福音
〈評者〉片柳弘史
テゼのブラザーや、本書の訳者である植松功氏、打樋啓史氏の指導による「テゼの歌」を用いた祈りの集いに参加させていただいたことは何度かあり、テゼの創立者であるブラザー・ロジェの名前は知っていた。今回、この本を通してその生涯と思想にふれる機会をいただいたことに、心から感謝している。
ブラザー・ロジェという一人の人物の生涯を克明に描いた本書は、20世紀ヨーロッパにおいてエキュメニズムがどのように受け入れられ、広がっていったかをわたしたちに生き生きと教えてくれる。第二次世界大戦開戦直後のフランスで、「なぜ人類はこのように対立し、争わなければならないのか。とりわけ、なぜキリスト者がそのようにしているのだろうか」と深く自問したブラザー・ロジェが始めた和解の共同体、テゼは、若者たちの心を強く惹きつけ、毎年何万人もの若者たちが全世界から集まる一つの「巡礼地」のようになっていった。それは、多くの若者たちが、ブラザー・ロジェと同じように、対立や争い、とりわけキリスト教徒同士の対立と争いにうんざりしていたことの証拠だろう。兄弟愛やゆるしの大切さを説きながら、「わたしたちが正しい、あなたたちは間違っている」と互いに裁きあい、軽蔑しあうキリスト教徒の姿に、若者たちは深く失望していたのだ。ブラザー・ロジェが作った共同体は、そんな若者たちにとって大きな希望の光となった。テゼの共同体は、イエス・キリストが説いた和解と一致の福音を、20世紀によみがえらせたと言ってもいいだろう。
テゼの共同体、そしてブラザー・ロジェに希望を感じたのは、若者たちだけではなかった。マザー・テレサの伝記作者として世界的に有名な本書の著者、キャスリン・スピンクは、徹底的な取材に基づいて、ブラザー・ロジェと歴代の教皇たちとの間に生まれた深い信頼関係も生き生きと描き出している。第二バチカン公会議を提唱したヨハネ23世、公会議を主導したパウロ6世、公会議の精神を次々と具体化していったヨハネ・パウロ2世など、歴代の教皇たちも、テゼとブラザー・ロジェに大きな希望を感じていたのだ。ヨハネ23世は晩年、「ああ、テゼ、あの小さな春の訪れ」と語り、パウロ6世はブラザー・ロジェに「青年たちを理解する鍵を持っているなら、それをわたしにください」と懇願したという。
マザー・テレサとブラザー・ロジェの間に結ばれた信頼と友情の絆についても詳述している。争いと貧困の中で傷ついた人々に寄り添ったマザー・テレサも、キリスト教徒同士のあいだにさえ争いがあり、それによって傷つく人たちがいることに耐えられなかったのだろう。共同で出したアピールの中で、「互いが異なっているなかで、誰が正しく誰が間違っているかを見つけようとすることに、何の意味があるのか」と訴えたという。本当に正しいのはイエス・キリストお一人だけ。わたしたちはみな、不完全な罪人にすぎない。それが、この二人の共通の確信だったのだ。
テゼの魅力がエキュメニカルな性格にあることは間違いないが、テゼの最大の魅力は「祈りの力」だとスピンクは分析している。繰り返される短い歌と、それに続く深い沈黙、その中でイエス・キリストご自身が祈るというのだ。テゼでは、「祈ることができない」と悩むことがない。なぜなら、わたしたち一人ひとりの内で、イエス・キリストが祈るからだとスピンクは言う。
ブラザー・ロジェは、必ずしも世間的な意味で有能だったわけではない。むしろ多くの弱さを抱え、失敗を繰り返しながら、それを力に変えて進んできた人物だ。「最も辛い出来事によっても、何かを築くことができます。喜ばしい出来事だけでなく、最も耐え難い状況、また失敗さえもが、私たちを前進させる力になりうるのです」というブラザー・ロジェの言葉が、深く心に刺さった。聖書が伝える弟子たちの歩みからも明らかなように、神は、人間の弱さや失敗の中からさえ、よいものを作り出すことがおできになる方なのだ。この本はわたしたちに、和解と一致への希望だけでなく、どれほど困難な状況にあっても希望に向かって進んでゆく力を呼び起こしてくれる本だと言っていい。この本と出会えたことを心から感謝したい。
心の垣根を越えて
テゼのブラザー・ロジェ―その生涯とビジョン
キャスリン・スピンク著
打樋啓史、村瀬義史監訳
A5判・256頁・定価3080円・一麦出版社
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片柳弘史
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- 2024年3月1日