わたしは、牧師として遣わされた教会が長く大事にしてきた幼稚園の働きにも、園長として関わっている。キリスト教保育を行っている園では、毎日の生活の中に必ず「お祈り」がある。保育が始まる前の朝の打ち合わせで、一日のスタートの祈り。子どもたちとの礼拝での祈り。給食をいただく前の食前の感謝の祈り。園での特別な日、特別な行事での祈り……。
教会の礼拝や祈祷会でのお祈りと違うのは、祈る人が必ずしもクリスチャンではないということ。祈る場が幼稚園であること。そして、子どもと祈る、子どもが祈る、子どものために祈るという、子どもを頭においての祈りであることだ。
教会での祈りや、クリスチャンが祈ることについての本は、以前からさまざまあるけれど、こういうある意味特殊な、子どもに関わる祈りについての本は、あまり目にしたことがない。けれどもキリスト教保育の現場では、結構みんな頭を悩ませているのではないだろうか。
『保育者の祈り──こどものために、こどもとともに』

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保育者の祈り
こどものために、こどもとともに
・望月麻生:監著
・小林路津子、新井純:著
・日本キリスト教団出版局
・2023 年刊
・B6 判 96 頁
・1,320 円
だから『保育者の祈り──こどものために、こどもとともに』が出た時には、すぐに手に入れたいと思った。そして、読んでみて、とてもうれしくなった。帯にも「えっ、こんなことも祈っていいの? こんなふうに祈ってもいいの?」とあるとおり、キリスト教信仰を持っているわけではない保育者たちが、祈りに対して持っているハードルを下げてくれる本なのだ。
新卒はもちろん、保育の経験者であろうと、初めてキリスト教保育の場で働くことになった人たちにとって、「お祈り」は難関の一つに違いない。キリスト教をよく知らないのに、自分が当事者として神に祈らなければならない、というだけでも十分悩ましい。それを、子どもたちの前で、自分の言葉で口にしなければいけないのだ。
だから、最初の数ヶ月、お祈りは免除される。そしてその間に、わたしがお祈りについて基本的なことを伝える時間を持つ。お祈りは神との対話であること、最初に呼びかけがあり、内容があり、締めくくりの言葉があり、最後にみんなで「アーメン」と言うこと。お祈りの内容にはさまざまあって、お願いばかりではないことなど。その上で代々大事にされてきたのが、先輩たちのお祈りをよく聞いて学ぶことだと伝える。
けれども、きちんと整った言葉でなければいけないのだろうか、とか、いろいろなことに目配りして配慮しなければいけないのではないかとか、負のイメージがあることは言ってはいけないのではないか、というようなことがどうしても気になってしまうだろう。
わたしたちは、いつも冷静に全てを配慮できるわけではないし、心が安定しているわけでもなく、気持ちが混乱していることもある。毎日が小さな事件であふれている保育の現場で、いつもお行儀の良い、完璧な祈りなどとても無理なのだ。でも、実はそれでも大丈夫と言えることこそが「お祈り」だとも言える。神との対話なのだから、わたしたちの全てをご存じの方に向かって、わたしたちはなんでも言っていいのだ。
この本は、そのことを見事に具体的に教えてくれる。大きくは「こどもと祈る」「わたしが祈る」に分かれている。「こどもと祈る」には「行事の祈り」「この子のために祈る」「誰かのために祈る」とあって、それぞれ実際のお祈りがいくつも掲載されている。「お祈りは神さまにお話しすること」だというのは、良いことばかりでなく、心配なこと、困っていること、モヤモヤした気持ち、誰にも言えないことなど、自分の本心を素直に言っていいのだということが伝わってくる。
園の礼拝では、その時の子どもたちの気持ちを、教師が代弁するように「今わたしたちは」と祈ることが多くある。そんなお祈りもあれば、子ども自身の祈りもある。子どもたちが直接神さまに祈れるようになるために、「こんなふうに言っていいんだよ」「こういうお祈りもあるよ」と伝えることができる。
また、後半の「わたしが祈る」には「悩んで眠れないとき」など、保育者が自分で祈る祈りがたくさん収められている。多くは人前で祈るものではなく、一人で神と向き合い、自分と向き合う祈りだ。今まで神や信仰について考えたことがなかった保育者にも、「神と対話する」とはどういうことなのか、神とはどのような方なのかを考えさせてくれるお祈りが載せられていて、うれしくなる。
悩みやスッキリしない気持ちも、口に出して誰かに話せば、それだけで気持ちが落ち着くことがある。神もそのようにわたしたちの気持ちを聞いてくださる。また、神が聞いてくださると信じて祈る時、自分の祈りは神にどのように聞かれるだろうかと心が動く。それだけで、わたしたちは自分のことを客観的に見られるようになり、一人で考えているだけでは気づかなかったことに目が向けられるようになるのだ。
「苦手な同僚がいます」など、現実の園で起こるさまざまな問題や悩みが、具体的に取り上げられているので、中にはどきっとさせられることもあるだろう。だからこそ、保育者が「祈る」ことに対して自由に解き放たれていくきっかけになるのではないかと思う。
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こどものいのりシリーズ『いちにちのいのり』

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こどものいのりシリーズ
『いちにちのいのり』
・アラン・パリー&リンダ・パリー:絵・文
・ドン・ボスコ社
・1996 年刊
・153×132mm 12 頁
・418 円
子どもと祈るだけでなく、子どもにも自分で祈れるようになってほしいとわたしたちは願う。けれども、これがまたなかなか難しい。子どもたちは、教師から教わった祈りを覚えて祈れるようになるところから始める。ところが、最初に覚えた基本の形から応用することがとても大変なのだ。そして、教師の方も、どうやってお祈りの内容を広げていけばいいのか、とっさにアドバイスできず、戸惑ってしまう。そんな時に、わたしたちの園で、昔から重宝してきた小さなお祈りの本がある。『いちにちのいのり』『おしょくじのいのり』『かんしゃのいのり』『おやすみまえのいのり』だ。かなりボロボロになっているけれど、それほど必要とされて読まれてきたということでもある。
内容はいいのだが、「良い子でいたい」という空気が底に流れているのが、ちょっと気になる。そういう感覚が「少し古いかな」とわたしには感じられる。でも、たとえば「食前の感謝の祈り」では、どのようなことを祈ればいいのか、いろいろなことが書かれているのでヒントにすることができる。本にある言葉の中の一つを祈れたら、子どもにとっては十分なのだから。
小さな手のひらの形で、丈夫なボール紙で製本され、大勢の子どもたちの手に渡っても傷みにくい造りになっている。刷りを重ねて現在もなお手に入るということは、きっとあちこちで用いられ続けているからなのだろう。
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『礼拝の詞2─教会の時』
さて、子どもだけの礼拝でなく、大人たちも混じった礼拝の中で「子どもと祈る」ことが意識されていくといいなあとわたしは願っている。さまざまな人が共に集うのが本来の礼拝のあり方だ。少しでも子どもの声が聞こえ、子どもの存在が礼拝全体の中でわかちあえる工夫ができるといい。そして、礼拝に集うみんなで「子どもと祈る」5ことができたらすばらしい。
そんな時のヒントになる祈りが『礼拝の詞2──教会の時』にある。この本は、さまざまな礼拝のための資料集。
「こどもの日」(花の日)、「平和聖日」、「聖徒の日」、「収穫感謝日」など教会暦の中で特定の目的や性格をもった礼拝で、子どもと祈るリタニーが提案されている。
その各礼拝での招詞や祈り、派遣と祝福の言葉などがいくつも掲載されている。子どもが自分たちの声で祈り、大人が祈り、みんなで祈る、そんなさまざまな声が交わり、聞こえるリタニーが作られている。それも、開式の時、罪の告白、奉献で、と多様な場面で用いる提案がなされている。
他に、子どもと共にいることを言い表した司式者のための「開式の祈り」「罪の告白」「とりなしの祈り」などの例もあり、子どもと共にする礼拝の案も提示されている。
このような試みがなされていくと、子どもと祈ることが、幼児施設だけで行われる特別なものでなくなっていくだろう。そして、それが神の御心にかなうことではないかとわたしは思う。