今回のテーマである「バイオエシックス/生命倫理」は、「いのち(bios/ビオス)すなわち、生命・生物・生活」をテーマにした新しい知の領域の総合的研究分野です。
そのルーツは地域コミュニティでの日常的な「いのちを守り育てる」市民の消費者活動や、教会に平和活動家を招いての講演会の共催や、ペンタゴンを囲む反核・平和デモ活動、教会で難民を受け入れ、ホームレスの人々のための食事作りのサービス、地元の病院やホスピス・ハウスでのボランティア活動などに由来するのです。
これらの市民活動のルーツを背景としつつ、1970年代から展開されたバイオエシックスは、遺伝子研究や臓器移植、体外受精など先端生命医科学研究や医療において、患者をはじめ、専門外の人々、コミュニティの人々が参加するガイドライン作成をはじめ、「生と死をめぐる自己決定」、「インフォームドコンセント」、「患者中心の医療」などを実現させたのです。
アメリカやヨーロッパでの「バイオエシックス/生命倫理」の展開では、キリスト教の神学者や牧師が大きな役割を果たしました。既に、1980年代には、例えば、私たち家族が所属していたアメリカ合同キリスト教会(UCCUSA)の教会(バージニア州・アーリントン)でも、あらかじめ学習していたせいもあって、エイズに感染した教会員の青年がカミングアウトした時には教会員が暖かくハッグしたりして普段通りに受け入れました。その他の教会の教育プログラムには、教会学校の高校生グループには同性愛や妊娠中絶、高齢者には在宅でのホスピス・ケア等のテーマがとり上げられ、私たちも家族ぐるみのボランティアとして参加しました。
更に、教会で夜に行われたバイオエシックス学習会では「遺言書の作成や葬儀の形式」などについても学びました。なお、「末期の在宅がん患者ケアへの訪問ボランティア・ケア」や「がんサポート祈りのグループ」などボランティア活動も展開されていました。
このように「バイオエシックス/生命倫理」には、極めて多様なテーマがありますが、今回は、「戦争と平和」に焦点を合わせ、次の3冊の本に学びたいと思います。
『科学者は戦争で何をしたか』
第一冊目は「科学者は戦争で何をしたか」という本です。この本は、バイオエシックスの重要なテーマの一つである「戦争と科学者と平和活動」の実践の重要性がテーマです。
本書の著者は、「ノーベル物理学賞」を受賞された名古屋大学特別教授・益川敏英先生で、「九条科学者の会」の呼びかけ人でもありました。益川先生は2021年に亡くなられましたが、この本は、一般読者向きの新書で、益川先生の平和への願いと熱意とがひしひしと伝わってきます。
原子爆弾の開発を含め、多くの科学技術者たちは戦争に協力を惜しまないうちは重用されるものの、その役目が終われば、一切の政策決定から遠ざけられる。「国策で動員されるということはそういうことです」と益川先生は指摘されました。日本への2発の原爆も開発の当事者たちが、反対の請願書を書いても結局は軍事的・政治的決断によって投下されたのでした。
益川先生は「私にとっては、高みから崇高な理念を発するより、労働者や一般市民に混じって活動する方が居心地が良かったし、手ごたえを感じました。デモや集会に参加することで、職種の違う活動家との出会いもあり、人々の生の声を聴けたことも収穫でした。上からのメッセージも必要ですが、私のように市民に混じって草の根的に活動する科学者もいてもいいのではないかと思っています。」
本書は、まるで「現代の予言書」のようで、今問題になっている学術会議や大学、産学協同などの動向、日本の政治が戦争へと向かう危険性などにも触れています。
「どんなに批判を受けようとも、私はこれからも地球上から戦争をなくすためのメッセージを送り続けたいと思います。」とのメッセージを残された益川先生による「反戦・平和」の志を受け継ぐようにとの決意へと私たちは導かれるのです。
『父と娘の認知症日記─認知症専門医の父・長谷川和夫が教えてくれたこと』
第二冊目は、「父と娘の認知症日記─認知症専門医の父・長谷川和夫が教えてくれたこと」で、認知症の権威であった長谷川和夫先生ご自身が認知症になられてからの著作で、「本書は、父・長谷川和夫の日記、娘・南高まりのエッセイ、編集協力者によるインタービュー、引用・参考文献により構成されています」と書かれてあります。
本書を読んでいて、とても印象に残ったのは次の箇所です。
『父の講演会に付き添い始めた頃、話が横道にそれたりすると、声をかけることがありました。講演の時間は限られていますし、父には言いたいことがあるはずなので、それをきちんと伝えられるようにサポートしなければと思っていたからです。しかし、戦争の話になると止まりません。父のなかで「戦争」の2文字は外せないからです。「認知症ケアで大切なことは?」と尋かれると、パーソンセンタードケアについて語ることが多かったです。しかし、それが実践できるのは、平和があってこそで、だから、戦争はしちゃいけない。「戦争になってしまったら、認知症ケアなんてできないんだから」と戦争体験の話につながっていくのです。「戦争」「教会」「信仰心」「恩師の新福先生」の話は節目、節目で出てきます。』
認知症になられてからも、先生のお話の中心にあったのは、「戦争はしちゃいけない」ということであったことに深く教えられました。
私は、国際長寿センター(ILC)の運営委員会のメンバーとして、長年にわたり長谷川先生共々ILC主催の国内外での会議の企画や運営などに携わって来ました。いつも、先生の的確なご指摘や報告のまとめなどで多くのことを教えられ、先生から折にふれて、「認知症診療の進め方」などの御著書もいただいておりましたので、先生ご自身が認知症と診断されたことには大きなショックを覚えました。
先生が、「父と娘の認知症日記」により、認知症患者になってからも「生きている限り生き抜きたいと」と素晴らしいご活躍をなされ、その日常生活の状況を日記も含めて、ありのままにこのような著作になされたのは、多くの認知症患者とこれからも患者になるかもしれない私たちにとっての大きな励ましです。
2020年の9月17日「絆」で書かれてある長谷川先生の次のお言葉に深く教えられました。
「すべて神様の計画のなかにある。私たちが神様を選んだのではなく、神様が私たちを選んだのだ。だから神様のもとに帰るんだ。あくまで神様が主体であって、こちらは受け身。でも、受け身の準備をしていないといけない。
一人ひとり違う人生の流れがあって、その流れを大切にしないといけない。
生きているうちが一番華だ。明日に比べれば、今が一番若い。だから今を生きるということが華だ。誰かのために尽くしたい。」
『戦争・平和・いのちを考える─しあわせなら態度にしめそうよ!』
『戦争・平和・いのちを考える─しあわせなら態度にしめそうよ!』
・木村利人:著
・キリスト新聞社
・2015年刊
・A5判110頁
・1,100円
第三冊目は、拙著の「戦争・平和・いのちを考える─しあわせなら態度にしめそうよ!」です。
この戦後70年の節目の年に書下ろした小さいブックレットでは、私の少年時代のこと、大学院生の時、フィリピンでのボランティア活動に参加の折り作詞した「幸せなら手をたたこう」という歌の背景、サイゴン大学で2年間教鞭を取っていた時に体験したベトナム戦争と枯葉作戦の実態、そしてスイスでの3年間のエキュメニカル体験、中国での「371部隊」の跡地への訪問と調査、最後にいのちのイメージと教会についての考えを述べました。
ロシアとウクライナ、そしてイスラエルとハマスとの戦争が続いている今、私たちは、その悲惨な状況が一刻も早く終わるようにと願っています。
この状況と重ね合わせて、かつて日本軍がアジア・太平洋地域諸国の人々に与えた悲惨な状況を思うと、私は深い悲しみに襲われます。昨年、「ピース・ボート」で地球一周をした時に寄港したマニラの国立美術館には、日本軍による殺戮の絵画や死のバターン行進の彫刻などがあって、息を呑んで立ちすくんでしまいました。
私は、本年九十歳を迎えましたが、今後とも真の和解と平和のために祈り、主に在って活動を続けていきたいと願っています。
木村利人
きむら・りひと:早稲田大学名誉教授