教文館から刊行してきた『アウグスティヌス著作集』(全三〇巻+別巻二巻)が完結します。これを記念して、本著作集の編集委員の一人であり、長年アウグスティヌス研究を牽引してきた金子晴勇氏にお話をうかがいました。
一九七九年に本著作集の第一回配本がなされましたが、それより五、六年ぐらい前に教文館の出版部長であった高戸要さんに呼ばれて、東京神学大学の赤木善光さんと一緒に教文館を訪ねました。そのとき初めて『アウグスティヌス著作集』の出版という大事業の話をうかがいました。当時、創文社からトマス・アクィナスの『神学大全』が出版され始めたので、それに刺激されてアウグスティヌスの著作集の計画が始まったと思います。その頃は、残念ながらわが国ではそれまで『告白録』とその他わずかな著作しか訳されておりませんでした。そこで何を翻訳して著作集に収録するか赤木さんがはじめに立案し、それを検討しながら計画を立てたのですが、わたしたち二人だけではとても計画を実現できそうもないので、当時アウグスティヌス研究で頭角を現していた泉治典さんと茂泉昭男さんにもこの計画に参加してもらいました。宮谷宣史さんには当初から『告白録』の翻訳をお願いしました。出版の際には責任編集者が訳文を全 面的に検討することを決めました。この作業にはとても時間がかかり、苦労しました。とりわけ泉さんには『神の国』全五巻の完成に当たっていただき、実に献身的にお世話いただきました。
ここに新進気鋭のアウグスティヌス研究者が総力をあげて世に問う著作集全一五巻(第Ⅰ期)は、翻訳・注・解説にわたって詳しい説明が施され、訳文もよく検討され、読みやすくなりました。これは何よりも優れた内容のゆえに、わが国のキリスト教思想史の中でも記念碑的業績となったと思います。
アウグスティヌスが生きた時代は古代末期であり、古き時代の思想体系がことごとく没落しようとしていた激動期にして文化の変革期でした。古代世界はその思想もろとも根底から更新されなければならなかったのです。そのときアウグスティヌスという一個の人格のうちに当代の精神的支柱であった諸思想が流入し、彼自身の生活体験を通し、かつ、歴史の厳しい試練を通して、新しい観点からキリスト教思想が形成されました。
わたしは彼の著作『神の国』にとくに興味をもちました。というのもわたしたちは、敗戦という過酷な試練に耐えるだけでなく、新しく文化国家を形成するには、何を手がかりにしたらよいのか、迷っていました。アウグスティヌスは古代末期のローマ帝国にキリスト教がどのように貢献できるかを当時の全世界に向かって提案すべく、大作『神の国』を書き始めました。それに促されて、わたしは卒業論文で彼の歴史哲学を取りあげることを決めました。当時はラテン語を学び始めたばかりなので、英訳を使いましたが、二巻で一〇〇〇頁を超える大作を読むだけでも大変に苦労しました。その後、大学院では『三位一体』で修士論文を書きました。この書は内容が込み入っていたので、ラテン語で全巻を読むのに時間がかかりましたが、時間をかけて彼の思索に一歩一歩とついていくことで、わたしも思索する訓練を受け、思想的にも成長することができました。
第Ⅰ期の著作集を刊行している間に読者の方々からのご要望もあって、さらに第Ⅱ期の全一五巻の著作集が刊行されることになりました。この計画はすでにその数年前からその実現に向けて翻訳に取りかかっていました。そこでまず『ヨハネによる福音書講解説教』(全三巻)の完成を待って出版計画を公表し、これに加えて他の巻も逐次刊行していくことになりました。この計画には『詩編注解』の大作を加えました。それは多くの方々の要望に基づくものでした。これらの注解は実はヨハネ福音書の講解説教と同じように、中身がすべて説教でした。詩編の場合には「民衆のための説教」と「学問的な講解」から構成されています。この詩編注解ではアウグスティヌスは民衆の中に入っていって、「兄弟たち」と絶えず呼びかけ、聖書の言葉を信徒の信仰生活に具体的に応用すべく努めました。彼は聖書の言葉を信徒の生活に近づけようとし、いつも行われる「比喩的」な解釈も荒唐無稽なものでは全くなくなり、信徒の生活に密着してなされました。比喩を聖書の本文に適用することは、アンブロシウスの影響だけでなく、『キリスト教の教え』以来、その全生涯にわたって実行されました。しかし、これまでの比喩的解釈よりも、信徒の心に直接語りかけ訴えているところに、説教者アウグスティヌスの魅力が感じられます。ヨハネ福音書の講解説教でも、また詩編の注解でも、これほど大がかりに行われた例はキリスト教史上全く見られない現象であって、この分野での研究はこれから始まることでしょう。
アウグスティヌスの思想は、現代のキリスト教の神学者の著作にはっきりとその影響が認められます。例えば、現代の気鋭の政治学者でアウグスティヌスの研究家でもあるハンナ・アレントは、アウグスティヌスのことを「記述された歴史の他のいかなる時代よりもわたしたちにある面で類似している時代に生きた偉大な思想家」と語っています。確かにわたしたちの時代との類似性は大きく、たとえば、現代の二つの世界大戦によって起こった終末意識などは彼の時代のそれと等しく、古代の終末に直面しながら形成された彼の思想は、新しい中世への出発となりました。また現代のキリスト教神学に対しても彼の思想は大きな影響を及ぼし、例えばニーバー兄弟とティリッヒに対する影響は歴然としています。兄のラインホールドは自己超越としての自己理解を、弟リチャードは彼こそ「キリストが文化の改造者である」ことを表明した古典的思想家であると主張します。さらにティリッヒは、アウグスティヌスのギリシア哲学とキリスト教とを総合する思索を高く評価し、「人間の精神が神の存在に直接近づくことができる」との主張に、信仰と文化との双方に対する揺るぎない基礎を捉えたと語っています。わが国においては、哲学者の西田幾多郎、経済学者の矢内原忠雄、教会史家の石原謙、カトリック神学者の岩下壮一と吉満義彦などによって彼の思想は受容され、現代に極めて有益であると説かれました。
さらに彼の魅力的な人柄もわれわれを惹きつけてやみません。真理探求の燃えるがごとき情熱、絶望の淵での苦悩、永遠の愛による救いなどを通して、あの豊かな内省の世界が創りだされます。そこには人間そのものの普遍的な 形が描き出されています。この苦悩し病める人間が神の恩恵によって新生する劇的回心はまことに「世紀の回心」 にふさわしく、その「回心の哲学」は「恩恵の博士」と呼ばれるに値する永遠の光を今日にいたるまでも放っております。
彼の最良の書は『告白録』です。このことは当時の古代末期から今日に至るまで変わりません。しかし時代は絶えず変化するので、彼への関心も変わるでしょう。多面的でもある彼の思想は『神の国』や『三位一体』を構成する各巻の主題でも今日の読者には極めて魅力的に感じられるといえましょう。
本著作集が完成したことは、ヨーロッパの思想史を学ぶに当たって極めて重要です。翻訳がなかったときにはラテン語でいくら努力しても一日に一頁も読めなかったのに、信頼できる本著作集を使えば、極めて容易に彼の思想の全体を迅速に理解できます。こうした読書を通して初めて、偉大な文化遺産は容易に自己のものとなるでしょう。
金子晴勇
かねこ・はるお=岡山大学名誉教授、聖学院大学名誉教授