R・A・マカヴォイ『ダミアーノ』『サーラ』『ラファエル』
─魔法の歌シリーズ─
『ダミアーノ』
・R・A・マカヴォイ:著/井辻朱美:訳
・ハヤカワ文庫/文庫判
・『ダミアーノ』1986 年・345 頁・528 円(税込)
『サーラ』
・R・A・マカヴォイ:著/井辻朱美:訳
・ハヤカワ文庫/文庫判
・『サーラ』1987 年・400 頁・572 円(税込)
『ラファエル』
・R・A・マカヴォイ:著/井辻朱美:訳
・ハヤカワ文庫/文庫判
・『ラファエル』1987 年・361 頁・528 円
マカヴォイはまったく奇妙な味の女流作家で、出世作の『黒龍とお茶を』は中国の黒龍(ウー・ロン)がメイランド・ロングと名乗る紳士となって、アメリカに出現、元ヴァイオリニストの中年女性と恋に落ちる話だった。
設定の突拍子もなさとそれを全くなだらかに現実と接続してしまう筆力、そして独特のユーモアの持ち味が、この『魔法の歌』にも生かされている。
ダミアーノはピエモンテ州のパルテストラーダという街に住む魔道士で、亡き父ゆずりの魔力はあるものの音楽に心を傾け、なぜか天使のラファエルを師匠とし、教会音楽からは異端とされるであろう対位法の新たな楽曲を生み出そうとしている。
だが、うぶで純真なダミアーノの運命は歴史に翻弄されはじめる。彼の住むピエモンテ州はサヴォア軍に占拠され、住民は逃げてしまう。ダミアーノは敵の将軍に魔道士として交渉をもちかけるが、一蹴される。愛する街と、思慕を寄せる貴族の少女のため、ダミアーノは次に「ラファエルの兄」堕天使ルシファー(サタン)に接触するが、「虚言者」は彼の甘さを軽くあしらう。
パルテストラーダを後にしたダミアーノは逃げた住民らを追って、フランスのサン・ガブリエルに向かい、途中で、すりの少年ガスパールと知り合い、このこすからい少年は、ダミアーノの音楽に興味を抱き、踊り手として彼についてくることになる。─物語はいったいどこへ行くのか、徐々に迷走し始める─ダミアーノは父の愛人だったラップランド出身の魔女サーラにパルテストラーダを救う助けを求め、予期せぬ愛が生まれるが、彼女の現在の愛人ルッジェーロと戦い、殺してしまう羽目に。純情なダミアーノは杖を折って魔力を捨て、ガスパールとともに楽士として行方定まらぬ旅を始める。
天使ラファエルは彼に同行するうちに、「なにものにもかかわらない、神の一部」としての聖画のような体面から逸脱し、ダミアーノの危機を救ったり、「介入」したりしはじめ、大理石像さながらの美しさにも、人間らしさがしのびこんでくる。
このあたりからマカヴォイは驚異の第三巻を意図しはじめたと思われるが、ダミアーノは「ペストをイタリーからサン・ガブリエルに持ち込んだ」とサタンに示唆され、二巻の最後では、罹患したガスパールの姉の娼婦を救うために自らを犠牲にして死んでしまう。
なんと三巻では、サーラを助けにきたラファエルはルシファーの手中に落ち、人間となってスペインのグラナダの人買いに売り渡されてしまう。この巻では「肉体を持つ人間の営みのあれこれ」を茫然としながら幼子のように体験してゆくラファエルの運命と、彼の無垢に魅せられてかばい、世話を焼くベルベル族の女ジュウラのしたたかな愛情が読みどころだ。
しかもこんどは幽霊となったダミアーノが逆にラファエルを勇気づけ、助ける役割に回る。純粋無染の天使であったラファエルが言う。
「天国の音楽よりもっとなまなましいのは、鼻の痛みや、したたり落ちる血や、明日ウードをひかなければならないこと、便所を掘らなければならないことだ」
キリスト教の教義は奇妙な記憶として残っているが、それはもはや単なる礼法にすぎず、「アラーにはまだ紹介されていない」「アヴィニョンの教皇のことも知らない」
クライマックスでは、奴隷として去勢されそうになった彼を助けにくるサーラ、ガスパール、そして『黒龍にお茶を』に登場する黒龍、ダミアーノの幽霊、そしてどういうわけかこのピンク色の奴隷(ピンキイ)と「恋仲」になってしまったジュウラが集結。
彼らの擁護を得て、サタンとの最終対決のときが訪れると、ラファエルは音楽を通じて神にいたることを語る。
「おまえはわたしを知らない。だが今こそ知るだろう」
「よせ、今のはおまえではない、おまえのなかの神だ! 余はまっぴらだ」
人間としてのラファエルの死と、大天使復活のシーンは壮麗にしてまばゆい。だが、彼はもはや以前のような聖なる存在ではなく、なまなましく温かい愛を知るものとして、ジュウラとともに姿を消す。
長い物語だが、どうにもひとことではまとめられない神学譚でもある。
私はこれを訳した当人なのだが、今回三冊を読み直すのに、たいそう時間がかかった。読むにつれ、このセリフはどう苦労して訳したとか、この展開で茫然自失したとか、いったいこの人物は何を考えているのか人物像の造形をまとめるのに四苦八苦したとか、また、ラファエルの神威をあらわすのにどのくらい「盛ったらいいだろうか」と工夫した事情が逐一リアルに思い出されたからだ(私は「盛る」のが大好きである)。
天使譚という点からすれば、これはまことに希有な、他に類例のない物語かと思う。
そしてコロナ禍の現在、本書に凄惨に描写されるペスト下のイタリーやフランスの街のさまは、新たに、訳者とは別の現在の私にしみた。
ラファエルは大地の病を癒す天使とされているそうで、ペストの時代にはまさしくふさわしい存在なのだが、「わたしが疫病に力を持っていたら、いままでに疫病で死ぬ人間はいなかっただろう」と、ダミアーノ一人をすら救いえなかった(これには彼自身の望みという、やむを得ぬ事情があったが)ことを悔やむ。
天使の目線から見た人間、そして人間となった天使が体験する人間。あちこち辛辣なユーモアをちりばめながら、マカヴォイは、主人公ダミアーノを途中で離れ、「天使」という美しくも愚かしい存在に全力で取り組んだ。受肉した天使は、サタンが言うような「汚染された」ものではなかったのだと。
スザンナ・タマーロ『トビアと天使』
トチノキやウサギやさまざまなものが彼女に声をかけてくる。ゲーム機の中からいきなりあらわれた「守護天使」は「だれにもひとり天使がいる」と告げ、神さまとの仲介役であることを強調する。「カードの束を持っているのは創造主で、私と君は、ただ、そのカードの中でゲームをしているだけなんだ。君が正しいカードを選んだとき、私は君に合図をする」この合図とは羽根でちょっとくすぐってくれることだ。題名の「トビア」というのは、祖父との遊びの中でマルティーナが「トビア」という子犬の役を演じ、自由にふるまい、甘えることができた思い出をさす。
祖父は交通事故で足を傷めただけで無事に孫娘と再会、両親は娘を探そうと警察に駆け込んでいたが、ようやく事件が解決し、娘に対する愛を再確認することになった。
利倉 隆『天使の美術と物語』
※ご紹介の本には現在入手が難しいものも含まれ、図書館のご利用をお薦めいたします。
井辻朱美
いつじ・あけみ:白百合女子大学文学部児童文化学科教授・ファンタジー小説家・翻訳家