『本のひろば』は、毎月、キリスト教新刊書の批評と紹介を掲載しております。
本購入の参考としてください。
2018年6月号
出会い・本・人
北御門二郎とトルストイとの出会い(エッセイ:小宮由)
特別企画
翻訳家 中村妙子さんインタヴュー
エッセイ
『人はどのように変わるのか』を翻訳して(田口美保子)
本・批評と紹介
- 『55歳からのキリスト教入門』
小島誠志著、日本キリスト教団出版局―(上島一高) - 『恵みによって生きる人間の形成』
上野峻一他編著、日本キリスト教団出版局―(長山道) - 『地の塩となる教会をめざして』
袴田康裕編、一麦出版社―(星出卓也) - 『み言葉に生かされ』
辻哲子著、ヨベル―(及川信) - 『聖書の風景』
岩井健作著、新教出版社―(野本真也) - 『キリスト教教育と私 後篇』
塩野和夫著、教文館―(松見俊)
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編集室から
タイトルに惹かれて『図説 異端の宗教書』久米昌文著、新人物往来社、という本を買いました。明治から昭和前半の、いわゆる「キワモノ」的な宗教書の文献目録です。収録本の中には発禁になったり、秘伝書として関係者だけに配布された文書もあります。著者はただ収集編纂したのではなく、それぞれの本に解題をほどこし、その上で、これら「異端の宗教書」に通底しているのは、近代合理主義への反発であると言います。宗教を科学の視点から捉える立場が、本来豊穣だった宗教の世界を貧相なものに変えてしまった。それに対して、宗教を近代合理主義の呪縛から解き放とうとしたのが「異端の宗教書」であると。
その真偽は分かりませんが、私もレアな宗教書を持っています。『主は偕にあり』田中遵聖著、アメンの友、1977(非売品)です。著者の田中遵聖(1886―1958)は、聖霊運動により教派を離脱し、呉市で独立伝道をした牧師です。息子で作家の田中小実昌が谷崎賞を受賞した作品『ポロポロ』(河出文庫)は、父牧師をテーマにしたものですが、タイトルの「ポロポロ」とは、ぽろぽろ異言が出たという説と、祈祷中の「パウロ、パウロ」がポロポロに訛ったという説があります。いずれにせよ聖霊による神癒や祈祷を行い、正統派からは排斥されました。私の師であった牧師・伊藤義清は田中小実昌とは昵懇の間柄だったので、田中遵聖の本を蔵書していました。ある日、「読みたければあげるよ」と言われたので、譲り受けたのです。
日本のキリスト教界にも、それら埋もれた宗教書があるはずです。ポスト・モダニズムの時代、宗教も先祖返りしているそうです。「神とはあるとかないとかの論題にされるものではなく、ただちに賛美を引き起こすものだ」という田中遵聖の言葉に、なぜか親しみを覚えます。(寺田)