『本のひろば』は、毎月、キリスト教新刊書の批評と紹介を掲載しております。
本購入の参考としてください。
2016年8月号
出会い・本・人
後から気が付かされること(大宮謙)
本・批評と紹介
- 『だれもが知りたい キリスト教神学Q&A』
G.M.バーグ他、教文館―(大坂太郎) - 『新島襄と明治のキリスト者たち』
本井康博著、教文館―(太田愛人) - 『使徒行伝 下巻』
荒井献著、新教出版社―(今井誠二) - 『イエスは何語を話したか?』
土岐健治他著、教文館―(原口尚彰) - 『キリスト教人間学入門』
金子晴勇著、教文館―(芦名定道) - 『「石井筆子」読本』
津曲裕次著、大空社―(杉山博昭) - 『教会では聞けない「21世紀」信仰問答Ⅲ』
上林順一郎監修、キリスト新聞社―(古賀博) - 『自分を知る・他人を知る』
賀来周一著、キリスト新聞社―(関谷直人) - 『聖書を伝える極意』
平野克己監修、キリスト新聞社―(森下滋) - 『闇の勢力に抗して』
内坂晃著、教文館―(関田寛雄) - 『Thy will be Done』
聖和史刊行委員会編、関西学院大学出版会―(戒能信生)
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編集室から
編集者を脅かす宿敵が日々忍び寄っている──その名はアムネジア(健忘)。馬齢を重ねるにつれ記憶力の減衰に煩悶する折も増えた。脳は萎縮し神経細胞は消滅するという厳然たる事実を抗わず受容し、大過なく勤め上げることを冀うばかり。
忘却とは忘れ去ることなり。知識の忘却と別に、往時の世界・空気感の忘却もある──PCや携帯電話のない時代の想起は困難であろう。また、思い込みや勘違い、願望も手伝い、過去が忘れられ、個人的・集団的に記憶が創造されることも往々にしてある。日本人は昔から時間に正確……ではない。明治以前には遅刻の概念がなく、幕末の外国人技術者は日本人の悠長さを嘆いた。演歌は自由民権運動の演説歌の後継……ではなく、1960年代に洋楽由来の歌謡曲から派生。戦時中英語は敵性語として法的に排除……は誤り。民間の自主規制で英語教育も存続した。近代以前は土葬が主流……も不正確。仏教の火葬(荼毘)が主流で、明治新政府の火葬禁止令は短命に終わった。
伝統の正体は? 恵方巻は、某コンビニが1989年に縁起物として販売、98年から全国に普及。大阪の花街での余興が嚆矢とも。初詣は、明治以降に鉄道会社の集客策から生まれた慣習。神前結婚式は、皇太子の婚儀を参考に1901年に神宮奉斎会が創始。道徳教材にも採用された「江戸しぐさ」に至っては史的根拠の皆無な幻想で、これは過去の捏造と言える。
多神教は寛容……日本礼讃のイデオロギーの隠れ蓑に利用される言説の真偽はどうか。日本史を軽く繙くだけでも、国内人口の3%超を占めたキリシタンは根絶され、明治期の浦上四番崩れは662名の死者を出した。神仏分離令は廃仏毀釈を生じ、国家神道と相容れない新宗教大本は1921年と35年に弾圧され、16名が拷問で死亡。1936年ひとのみち教団が解散。1942年に始まるホーリネス弾圧では130名以上が逮捕された。反面、一神教の歴史も寛容とは程遠いのであるが。
「忘れっぽい人は幸いである」(ニーチェ『善悪の彼岸』)とは耳に痛い。右にも左にも与せず、自賛からも自虐からも距離を置き、トリビアリズムを極めて韜晦したいが駄目だろうか。 (髙橋)