『本のひろば』は、毎月、キリスト教新刊書の批評と紹介を掲載しております。
本購入の参考としてください。
2015年10月号
出会い・本・人
柄谷行人の著作(福嶋揚)
本・批評と紹介
- 『争いから交わりへ』 ルーテル=ローマ・カトリック委員会著、教文館―(西原廉太)
- 『憧れと歓びの人』 マクグラス著、教文館―(本多峰子)
- 『はじめてのニーバー兄弟』
S.R.ペイス著、教文館―(髙橋義文) - 『ウェストミンスター小教理問答』
袴田康裕訳、教文館―(山口陽一) - 『学び直すリタジー』
マーク・イーリー著、聖公会出版―(市原信太郎) - 『お役所仕事に万歳四唱』
フィン・セーボー著、聖公会出版―(松平信久) - 『ヨハネに見る手紙牧会』
宮村武夫著、ヨベル―(小林高徳) - 『主の祈り』 及川信著、一麦出版社―(藤掛順一)
- 『七十人訳聖書入門』 土岐健治著、教文館―(村岡崇光)
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編集室から
少し旧聞に属するが、8月7日から8日にかけて北海道の旭川文学資料館を会場に第15回東北アジア・キリスト者文学会議が開かれた。今回のテーマである「文学は聖書をどのように表現したか」に即して、日本と韓国の小説・詩について、講演や話し合いがもたれた。ちなみにこの集まりは本誌を発行している一般財団法人キリスト教文書センターの活動の一環として行われている。
よく知られているようにお隣の韓国はキリスト教が盛んで、人口の約四分の一がキリスト者だと言われている。それに対して日本ではキリスト教の信者数は人口の一パーセントにも満たない少数派である。プロテスタントについて言えば、日韓両国での宣教の開始時期にはそれほど大きな差はなかったので、韓国でのキリスト教の発展を基準にすれば「なぜ日本にキリスト教は広まらないのか?」という疑問が湧いてくるのも無理のないことである。
最近、關岡一成氏の著書『海老名彈正──その生涯と思想』を読み、海老名が牧会していた本郷教会が1905~06年を頂点に急激に衰退した大きな理由の一つが、学生・青年の多くがキリスト教から唯物論社会主義に関心を移行したのではないか、というような記述に出くわした。そうだとすると、キリスト教が受容されたのは単なる流行思想の一つとしてであって、それに代わる新しい、より魅力的に感じられる思潮が出現すれば、キリスト教は流行遅れとして衰退せざるをえないことになる。実際、かつてキリスト教が盛んであった北米と欧州諸国では今キリスト教離れが進んでいるらしい。
このような時代のうねりの中で日本社会におけるキリスト教の今後の存在意義は何なのか? そもそもそのようなものがあるのか? そんなことをふと考えるのである。 (vaarwel)