『本のひろば』は、毎月、キリスト教新刊書の批評と紹介を掲載しております。
本購入の参考としてください。
2014年1月号
出会い・本・人
歴史好きが牧師になった(小橋孝一)
エッセイ
『平出慶一自伝 主のあわれみ限りなく』ヨベル―(臼田直樹)
本・批評と紹介
- 『「教会」の読み方』R.テイラー著、教文館―(加藤博道)
- 『ひかりをかかげて 岩村 昇』田村光三著、日本キリスト教団出版局―(篠浦千史)
- 『みんなで礼拝アイディア集』日本キリスト教団出版局―(古谷正仁)
- 『人は何を祝い、なぜ歌うのか』K.ハーモン著、聖公会出版―(越川弘英)
- 『スピリチュアルケアの実現に向けて』窪寺俊之編著、聖学院大学―(長山忠雄)
- 『光射す途へと』ジョン・キーブル著、日本キリスト教団出版局―(加藤博道)
- 『昔話の死と誕生』松居友著、教文館―(川中子義勝)
- 『詩華集 聖書の女性たち』日本キリスト教詩人会編、教文館―(船本弘毅)
- 『日本聖公会聖歌集による聖歌伴奏・アレンジ集1』立教大学教会音楽研究所編、日本キリスト教団出版局―(宮﨑光)
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編集室から
先日、JR中央線の車内で不思議な一団を見かけた。二十代後半から三十代と思われる青年たちであったが、男性は全員、紺のスーツに単色のネクタイ、髪型は昨今、絶滅種に近い横分け。女性は、淡いピンク色のスーツ姿で、はじめ制服なのかと思ったが、よく見ると細部が違う。自前の衣裳であることがわかる。皆、一様に明るく、清潔感に溢れていた。それに同じ車両にいながら、男性は男性だけ、女性は女性だけで集まり、お互いに会話しないのも珍しかった。企業の研修会かとも思ったが、どうも雰囲気が違う。そのうち、宗教団体の青年会かも知れないと気づいた。案の定、ある宗教団体の本部近くの駅で、全員張り切って降りていった。
推測に過ぎないのだが、昔のクリスチャンというのは、世間から不思議な一団と見られていたのではないか。クリスチャンといえば敬虔、潔癖、真面目、勤勉というのが(事実は別として)定説ではなかったのかと思う。「敬虔なクリスチャン一家」という表現はマスコミの常套句であり、それはそれでありがたい遺産である。因みに辞書を引くと「メソジスト」の項には、「(まれ)形式主義者」、「(まれ)堅苦しい人」と書かれている(『ランダムハウス英和大辞典 第二版』)。これはメソジストを皮肉った表現であり、当然、教会は抗議すべき事柄である。しかし、広い意味で昔のクリスチャンが、世間にそう言わせるほどの確固たる人物像を持っていたのも事実であろう。
私も旧メソジスト系の教会で育った。メソジスト色は希薄にはなっていたが、1970年代まで、礼拝に出席する熟年女性の多くは着物に羽織姿であった。それが普段の礼拝であった。居ずまいを正し、会堂の前列に粛然と居並ぶその姿は、青年たちに無言の諭しを与えた。
昔は良かったなどとは言わない。単に和服の方が着慣れていただけなのかも知れない。しかし、心は形に表れる。形式と形式主義は別物である。良き形は引き継ぐべきだと思う。 (寺田)