松本宣郎著 初期キリスト教の世界(足立広明)

キリスト教は地中海世界を変えたのか
〈評者〉足立広明


初期キリスト教の世界
松本宣郎著
四六判・400頁・定価3300円・新教出版社
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 「長期持続する志」。本書を手に取って、こんな言葉が思い浮かんだ。ブローデルと大江健三郎のつぎはぎのようで恐縮だが、確かにそう思える。本書を構成する各章は、発表の場所も時期も、対象とする読者、聴衆も異なっている。しかも基本的に手を加えていない。それがまるで一気に書き下ろしたように、一貫した叙述となっているのである。
 著者の問題意識は明快である。それは初期キリスト教の歴史をローマ史の文脈のなかで理解するということである。本書の各所で確認しうるが、自身の研究生活を振り返りながら全体の構想を示す第1章によると、この問題意識は、まず「ヘレニズム・ローマ史研究のスタンスでキリスト教史をみていた」秀村欣二教授に触発され(12頁)、ついで荒井献氏や田川建三氏の研究に刺激を受け(13─14頁)、しかし教会史ではなく、「初期キリスト教をローマ史の視覚で研究したい」との構想を弓削達氏に語ったところ、新約聖書時代よりやや下った迫害時代に焦点を絞ることを示唆されて定まったとされる(16頁)。

 キリスト教徒に対する迫害については、かつては、帝国側の激しい迫害に殉教者を出しながらも耐え忍んでついに勝利する、といった描かれ方が横行していた時期もあったが、著者はこうした二項対立の図式とは決別し、別の見方を提示しようとする。それは、散発的な迫害以外の長い期間と広い地域を視野に入れ、キリスト教徒がほかの地中海の人々とどのような価値観や生活態度を共有し、またどの点が異なっていたかに焦点を当て、彼らが最終的に地中海世界を変えたのか、それともあまり変えなかったのかを問うという観点である。迫害という事象自体もこうした「長期持続」の広範囲な生活空間のなかから逆に捉え直される。
 この観点から、あるときはモラルや性的規範に、あるときは奴隷や女性に、あるときは職業に、またあるときは教会間交流に、さらに「異」教哲学者の見たキリスト教徒や、イタリアという地域で見た場合の変化など、章によって多様なテーマが論じられていく。
 その立論は、マクマレンに代表されるような、「あまり変化させていない。むしろ周囲のローマ人と共通する点が多かった」という、多分に伝統的教会史観への批判を込めた近年の研究成果を尊重しつつ、ではなぜキリスト教が最終的にローマ帝国で優位を占めていくのかを探ろうとするものである。そして、社会史や心性史、それにブラウンに代表される近年の古代末期研究から導き出されるように、「異」教とキリスト教で共通する部分は多くとも、都市共同体やその主体となる上層市民の枠を超えた一つの信仰共同体を作ろうとする点、たとえば遠隔地の教会とも一体化を保とうとする一方、女性や奴隷も神の前では等しく救済に与る人間と見なすなど、その生活態度や心性において古代末期の社会変化に適合する新しい見方を提示できていたのだ、とするのが各頁で語られる著者の見方である。
 本書のなかでは、比較的時代の下るキリスト教公認後の教父アタナシオスに焦点を当てた、新しいエリートである司教の出現について分析する章(第8章)でもこの視点は貫かれている。彼の個々の行動は元首政期のパトロンのようであり、彼を支持する民衆の動きもけっして新しいものではない。しかし、こうした民衆の支持を背景に皇帝と交渉し、論敵を蹴落としていく人物は以前にはなく、一方それ以降の司教には見出せるのである。アタナシウスと同時期の帝国と社会のキリスト教化について、コンスタンティヌスの後継者コンスタンティウス二世の長い統治に注目する視点も、あらためて炯眼であると感じさせられた。
 伝統的にローマ史は、史料の性格上からも上層市民の政治史が主流を占め、一方教会史は信仰と教義を重視する。しかし、初期キリスト教に関係する史料は、宗教的偏りは別として、当時の上層市民でない人々の生活を垣間見させる貴重な史料である。松本氏は、この史料を出発点に、二つの領域を横断して歴史を考えることの大切さを示唆している。また、上述の日本人研究者だけでなく、海外の主要な研究の流れを知る上でも本書は手際がよく、この時代について知ろうとするすべての人にとって良き導き手となると思われる。

書き手
足立広明

あだち・ひろあき=奈良大学教授

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