関野和寛 著 『天国なんてどこにもないよ』 (伊藤 悟)

リアルな叫びが心を揺さぶる
〈評者〉伊藤悟

天国なんてどこにもないよ
それでもキリストと生きる

関野和寛 著
四六判・216頁・定価1650円・教文館
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本書はキリスト教放送局日本FEBCにおいてラジオ放送された関野和寛牧師の「もっとイエスにぶつかる」のシリーズから一三編、それに新たな書下ろし原稿一二編を加えたメッセージ集で、本書の各ページでイエスにぶつかる関野節が爆裂している。
読み終えて、非常に後味が悪い。読者の腹を縦横無尽にえぐるからだ。説教者や牧会者にとってはそのえぐられ方はなおのこと酷い。牧師は説教のたびごとに、それは会衆に向けて語るが、いやそれ以上に自らに向けて語ることになる。自分のなかにあるどうしようもない自分が、自分の説教によって露わにされ、本当にそのように語ってよいのか、本当にそう信じて語っているのか、いったいお前自身はどうなんだ、という問いの矢が四方八方から降ってくる。
本書は、リアルな私にリアルに問いかけ、牧師や信仰の原点ともいうべきところへと私を引き摺り出していく。その意味で、後味が悪い。
牧師のごまかし、手抜き、欺瞞、本音、嗚咽、抱えている闇、不安、蓋をしてひた隠しにしてきたもの、放置してきたもの、後回しにしてきたもの……。それらを自身の経験を踏まえて赤裸々に表に出し、本気でイエスにぶつかろうとする関野牧師の勢いに圧倒される。
いくつか関野牧師の言葉を紹介しておこう。
「あやまちや弱さに満ち溢れた本当の人間、汗と涙と罪の匂いがする人間に戻れる時にこそ、はじめて魂を揺さぶるイエスのことばに出会うことができる」(33頁)。
「イエスのことばを遠くから傍観して聞いているだけなら楽だ。だが、そこから一歩踏み出しイエスのことばのように生きようとする時、そこには激しい苦しみが伴う」(81頁)。
「そうだ、その通りだ。自分のことを思っている。『神を愛し、隣人を愛せ』といつもひとに説きながら、愛しているのは自分自身だ。(中略)神のことを思い、ひとに説いているようでいて、結局は自分を握りしめている」(101頁)。
「これまでわたしは神に全力で抵抗し疑ってきた。(中略)
けれども行き詰まるたびに、絶望するたびに、なぜかそこに十字架のイエスがいるのだ」(200頁)。
一編一編が聖書メッセージ(説教)であるが、聖書の言葉がメッセージの前ではなく後に付されているのは本書編集の特徴である。爆裂する関野牧師のメッセージに大いに揺さぶられ、「天国なんてどこにもない」という苦悩渦巻くリアルのなかに立たせられ、そして最後に聖書の言葉がぶつけられる。
また本書は、まるで「飛び出す絵本」のような経験をさせる。聖書の登場人物たち、人々の苦悩や涙、そしてイエスの言葉が、読んでいる者の目の前に次々と飛び出してくる。息遣いも聞こえてくる。「神よ! ふざけるな!」という叫びも一緒に響きわたる。と同時に、「それでもキリストと共に生きるってどういうことよ」との問いが迫ってくる。本書を通して、多くの方々にその経験をしてほしい。とりわけ、教会のこと信仰のことで行き詰まっている方々、キリスト教に懐疑的なイメージをもっている若者たち、日々福音を語る牧師、キリスト教学校の教師たちにお勧めしたい。「すべての悩み、苦しみをイエスにぶつけろ!」
関野和寛牧師は、14年間牧会した教会を辞し、パンデミックのなかアメリカに渡り、病院チャプレンとしてコロナ病棟や精神科病棟で人々の魂に寄り添う毎日を送ってこられた。死や怒りや絶望に直面する壮絶な状況下にあって、「目の前の現実を前に神を疑い、神に怒り、神を見失いながら、それでも神に喰らいつき、ことばを絞り出していった」(212頁)伝道者関野和寛の叫び。外では銃声とサイレンが毎日鳴り響いていたという。

書き手
伊藤悟

いとう・さとる=青山学院大学教授

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