ヒップホップ・アナムネーシス ラップ・ミュージックの救済

ラッパーは「声」を聴く耳が救済には必要なのだと訴える
〈評者〉金 迅野

 「アナムネーシス」は、聖書で、救済の根源に横たわる「過ぎ越し」の事件を胚胎しながら、十字架を「記念」するものとして使われている言葉だ。公民権運動の主体であった黒人教会がとった「リスペクタビリティ・ポリティクス」(身なりを整えて上品な言葉遣いをすることで、黒人は『立派な市民』であり平等に扱われるに相応しいことを示す政治的手法)(76頁)がはじき出してしまった存在。しかしBlack Lives Matter のうねりにはまだ含まれている存在。ヒップホップという運動の生成の背景と、「声」が発せられる複雑な文脈について語られているこの書物が向かうのは、そのような存在の生に触れる「声」を「記念」し想起することだろう。
 第一部では、読者が、その「声」を、救いにかかわるものとして記念し、想起することを願う、五つの論考と講演・説教・小説が「福音」として紹介されている。筆者は、「マッチョ」、「行儀が悪い」、「暴力的」と敬遠されることの多いラッパーたちの「声」には、たとえば1965年に起きたワッツ暴動のような「民衆暴力」が他者の排除へと向かう手前で持つ怒り、つまり権力や社会の構造が小さくされた個人の生全体を押しつぶす暴力への怒りが豊かに込められていることを教えられた。「声」が抱いている救いへの願いに連なるために、「声」を代弁する/再-現前させる語りは、いずれも、現に多くの人が眼差している世界とは違う〈世界〉に触れる眼差しの在り方を示しているように思う。そして第二部には、この地でことばを紡ぎ「声」を発してきた六人のラッパーたちの生の文脈が、丹念なインタビューによって綴られている。
 私たちが世界を生きているとき、たとえばTHUG LIFEという言葉は通常、ただ「ならず者の生」としか翻訳できないだろう。しかし、この書で一人の中心人物として紹介されている2パックというラッパーが腹に刻んだタトゥーの含意、つまりThe Hate U Give Little Infant Fucks Everybody(幼子に植え付けられた憎しみが社会に牙をむく)という意味を受け取るとき、私たちは、ラッパーたちの「声」に、救済が向かう〈世界〉が息づいていることに気づくことになる。
 ラッパーたちの「声」の強度は、聴く耳が存在することへの願望の強さを表しているのではないか、といま筆者は感じている。それは「少女、不良少年、無職の若者が誰にも見向きもされない社会の片隅のギリギリの状況下で上げた声」(79頁)であり、「いろんな人が発信する言葉が何もかも狂ってるんじゃないかと感じてしまった」(162頁)果てに湧き出た声である。しかし、それは、「ほかの誰もわからなくていい、でもお前だけはわかってくれ、そうやって呼びかけるための曲が詰まってるんだ」(229頁)という、聴く耳を持つ「他者」が存在することへの願望を表すものでもある。「声」は、時折表面に現れる排他的で暴力的な表現の深部に、「南米人は黒人、東洋人は黒人……」(39頁)という開かれた連なりと、救いの顕れである「コモン」への方向感覚を鉱脈として有しているのであって、だからこそ「コンシャスネスcon+science+ness」(ともに知を深めること)の萌芽たりえているのではないだろうか。
 この書は、誰かのSOSを聞き逃しながら何事もなかったかのように日常を送るあまたの私たちに、立ち止まり聴くべき「声」があること、そして主の救いが真っ先に向かっている魂の在り処と在り方について教えてくれる。稀有な形で顕れたこの書物を通して、多くの人が自らの「アナムネーシス」に出会うことを願う。

ヒップホップ・アナムネーシス
ラップ・ミュージックの救済

山下壮起・二木 信編
A5変型判・264頁・2750円(税込)・新教出版社
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書き手
金迅野

きむ・しんや=在日大韓基督教会横須賀教会牧師

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