ジャック・エリュール著 アナキズムとキリスト教(塩野谷恭輔)

アナキズムによるキリスト教の原点回帰
〈評者〉塩野谷恭輔

アナキズムとキリスト教
ジャック・エリュール著 新教出版社編集部訳
四六変型判・220頁・定価2750円・新教出版社
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 ジャック・エリュールは、二十世紀フランスにおいて社会学や神学の分野で活躍した左派知識人である。日本での知名度はあまり高くないが、欧米ではイヴァン・イリイチやコルネリュウス・カストリアディスに影響を与えた思想家としても知られている。エリュールは左派といってもマルクス主義者ではなく、本書のタイトルからも察されるようにアナキストであり、そして同時にクリスチャンでもあった。
 とはいえ、一九八八年に刊行された『アナキズムとキリスト教』と題された本書でエリュールが試みるのは、この両者のたんなる綜合ではない。そうではなくて、アナキズムとキリスト教信仰のあいだにある一種の緊張感こそがむしろ、エリュールの思想の、そして本書の魅力を生み出していると言えよう。
 本書の構成を述べておこう。本書は序章と補論を除けば二部からなる。第一部は「キリスト教の立場から見たアナーキー」と題されているが、ここで論じられているのはエリュールのアナキズム理解であり、またそうした立場からの既存のキリスト教(会)批判である。エリュールにとって、アナキズムの立場からするキリスト教批判あるいは糾弾が必要なのは、それがキリスト教を正しい聖書の理解やそれに相応しい振る舞いへと立ち戻らせる根拠となるからであるという。続く第二部では、それまでの議論を踏まえた上で、ヘブライ語聖書から新約諸文書までの読解が示されることになる。
 ここで重要なのは、エリュールが聖書の読解から取り出そうとする「アナーキー」とは、(当然だが)たんに「無秩序」を意味するのではなく、権威・権力や支配の排斥であるということだ。アナーキーに対するこうした積極的な意味づけは、もちろんエリュールのオリジナルというわけではない。だが歴史的な事実として、左派はこれまでアナキズムもといアナーキーを、社会を無秩序へ誘うものとしてしばしば斥けてきた。それゆえにアナキズムを擁護する思想家たちは、今日にいたるまで、この「アナーキー」という語に積極的な意味や価値を見出そうと繰り返し試みてきたのである。たとえば、カトリーヌ・マラブーが近刊『抹消された快楽』でプルードンを引いて言うように。
 紙幅の都合上、詳細を追うことはできないが、既存のすべての政治形態を斥けて新たに創出しなければならないと謳うエリュールの政治思想は、確かなキリスト教信仰と運動経験に支えられた極めて現実的なものでもあり、昨今のやや硬直した政治状況に力強く新鮮な風を吹き込んでくれるだろう。
 最後になるが、邦訳版本書のもう一つの大きな魅力は、その充実した訳注にある。〝古典〟の例に漏れず、本書にも今日から見れば若干の事実誤認が含まれるが、本書訳注がそれらを正すにとどまらず、登場する多くの固有名詞に詳細な解説を施してくれていることで、エリュールのテクストはその歴史の厚みとともに我々の前に立ち現れてくるのだ。そしてこのことは、原書の刊行から三〇年以上が経過し、本書がなお読まれるに耐える、いや今日こそ読まれるべきテクストであることを証ししてもいるのである。

書き手
塩野谷恭輔

しおのや・きょうすけ=東京大学大学院人文社会系研究科

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